最新記事

海洋戦略

漁船を悪用する中国の狡猾

2012年6月28日(木)15時17分
ジェームズ・ホームズ(米海軍大学准教授)

 周辺国は難しい選択を迫られている。もしフィリピンやベトナムが領有権を撤回すれば、自動的に中国の勝利だ。一方、もし周辺国が領有権を貫いて軍事行動に出たとしても、負けは見えている。非武装の中国漁船を一方的に攻撃したことになり、中国政府に格好の言い訳を与え、倍返しを食らうのは必至だろう。フィリピン政府は今、中国が仕掛けた勝ち目のない罠から逃れようとしているが、先は見えていない。

 中国の戦略が成功すれば、それは既成事実化する。正しい行為と認められ、時間とともに国際法上も正当化されるだろう。

 それこそ中国の狙いだ。中国以外は誰も、大昔の文献に基づいて中国が主張する領海(南シナ海のほとんどが含まれる)が正当だとは考えていない。フィリピンやブルネイ、マレーシアの沿岸部は特にそうだ。

 海洋法は領海を沿岸からの距離で規定している。2000年前に誰がどこで漁をしていたかではない。しかし中国政府は、こうした領海に進出して、相手国の反論を許さない圧倒的な軍事力を誇示する。

 もしこの手法がフィリピンの排他的経済水域内にあるスカボロー礁で通用するなら、中国政府の領土紛争への対応の前例になるだろう。領有権はフィリピン側にあると思われる場所で通用したのだから、他の紛争地域でも当然試みるはず。力が正義というわけだ。

日本に対しては慎重だが

 その拡大志向の是非はともかく、中国の海洋戦略は見事だ。中国政府の戦略はイギリスの海軍史家ジュリアン・コーベットの解説そのもの。コーベットによれば、どんな海軍も2つの大きな構成要素から成る。敵国の艦隊から制海権をもぎ取る「戦闘艦隊」と、平時に活動する「小艦隊」だ。敵側の海軍が掃討されれば、小艦隊の武力でも十分に敵対勢力を抑えられる。

 中国政府が紛争海域に展開する警備船や漁船を、「小艦隊」として認識するのは飛躍ではない。この手法には前例がある。歴史的に中国では、海軍と民間船の境界が曖昧だった。

 中国の漁船と非武装の艦船、そして後ろに待機する海軍の軍事力が融合して、「おとり戦術」が出来上がっている。東アジアにも東南アジアにも、中国と戦いたい国はない。フィリピンは戦略爆撃機も持たないが、中国空軍は強大で増強を続けている。

 中国は領有権をめぐり対立する周辺国を真正面から挑発し、反応を引き出すだけだ。紛争海域に漁船を送り、相手国の海軍や沿岸警備隊との衝突を引き起こし、相手の主張を撤回させる。また漁民が起こした問題を逆手に取る。いずれにしろ、強大な軍事力があれば、さまざまな選択肢が生まれる。

 中国の軍事的優位にどれだけ余裕があるかで、その選択肢は決まる。余裕があるほど、「限定的な対立」の適用範囲も広がる。「小枝外交」は、南シナ海では成功する公算が高い。周辺国の海軍力はまだ中国には遠く及ばないからだ。

 しかし東シナ海では、中国はもっと慎重だ。日本は反撃できる海軍力を持っている。さらに圧倒的海軍力を持つアメリカとも同盟を維持し、たとえ紛争に発展しても日米両国は尖閣諸島を守る意図を明確に示している。尖閣をめぐる日本との衝突は、中国にとってリスクが大きい。

 このため中国政府は、フィリピンに比べれば日本政府に配慮している。とはいえ中国の海軍力が日米同盟をしのぐような事態になれば、もっと強硬な姿勢に転じるかもしれない。今回、スカボロー礁でやってみせたように。

From the-diplomat.com

[2012年6月 6日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

独緑の党、メルツ氏の債務拡大計画への支持拒否も 与

ビジネス

ECB、利下げ継続・停止で予断は禁物=スロバキア中

ワールド

ドイツの各空港で終日スト、数千便が欠航・50万人以

ビジネス

米フォード、資金難のドイツ部門に最大47.6億ドル
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
2025年3月11日号(3/ 4発売)

ジャンルと時空を超えて世界を熱狂させる新時代ピアニストの「軌跡」を追う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやステータスではなく「負債」?
  • 2
    うなり声をあげ、牙をむいて威嚇する犬...その「相手」を知ってネット爆笑
  • 3
    ラオスで熱気球が「着陸に失敗」して木に衝突...絶望的な瞬間、乗客が撮影していた映像が話題
  • 4
    【クイズ】アメリカを貿易赤字にしている国...1位は…
  • 5
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」…
  • 6
    メーガン妃が「菓子袋を詰め替える」衝撃映像が話題…
  • 7
    「これがロシア人への復讐だ...」ウクライナ軍がHIMA…
  • 8
    テスラ大炎上...戻らぬオーナー「悲劇の理由」
  • 9
    鳥類の肺に高濃度のマイクロプラスチック検出...ヒト…
  • 10
    中国経済に大きな打撃...1-2月の輸出が大幅に減速 …
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやステータスではなく「負債」?
  • 3
    メーガン妃が「菓子袋を詰め替える」衝撃映像が話題に...「まさに庶民のマーサ・スチュアート!」
  • 4
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」…
  • 5
    アメリカで牛肉さらに値上がりか...原因はトランプ政…
  • 6
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 7
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Di…
  • 8
    「これがロシア人への復讐だ...」ウクライナ軍がHIMA…
  • 9
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない…
  • 10
    著名投資家ウォーレン・バフェット、関税は「戦争行…
  • 1
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 4
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    メーガン妃が「菓子袋を詰め替える」衝撃映像が話題…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中