世界を挑発する派手好きディーバ
母国ではネトレプコはそこまで理想化されていない。クラシックの才能とリアリティー番組向きの態度という取り合わせは、ロシアでは逆に不興を買う。「彼女は底辺から王座に上り詰めたが、王座にふさわしい振る舞い方を知らない」と、ロシア高級誌の編集者はかみつく。
「くそくらえ」とネトレプコはやり返す。ロシアの大衆紙には意地悪な噂が渦巻いていて、なかでも悪名高いのはウラジーミル・プーチン首相の愛人だったというもの。「本当だったらどんなに良かったか」とネトレプコは叫ぶ。「でもいつの話? 2回しか会ったことがないのに。公の場でほんの一瞬だけ」
最近はロシアではめったに歌わない。私が会った週末は、忠実なファンが多いザルツブルクで『イオランタ』を歌っていた。
ネトレプコは金髪の王女イオランタ役。高価なこくのある声は年齢とともに深みを増し、チャイコフスキーの濃厚なロマン主義にぴったりだ。とはいえ、こういう無垢な役は、ちゃめっ気のあるネトレプコにはどうもしっくりこない。「たぶん実生活では善良で優しい人間だから、悪い役が好きなのよ。特にマクベス夫人。魂がゆがんでる。ゆがみ切ってる! 素敵!」
終演後は、共演したロシア人歌手たちとオペラハウスの向かいのバーへ。みんなジーンズにTシャツとフランネルのシャツという格好だ。バスバリトンのエフゲニー・ニキーチンはタトゥーだらけで、パンクロックのドラマーのよう。一行は短期休暇中の兵士並みの勢いで飲み、たばこを吸う。
みんなサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場と、その芸術監督で指揮者のワレリー・ゲルギエフに育てられた。ニキーチンはネトレプコと同じクラスだった。「彼女は成功間違いなしのタイプだった」とニキーチン。「いつも前を向いて、決して後ろを振り返らなかった」
厳しい時代を生き抜いて
ネトレプコたちが学んだ80年代後半から90年代前半、マリインスキー劇場はギャングに牛耳られていた。「殺し屋だらけだった。オペラハウスの支配人の1人がやられた。射殺されたの!」と、ネトレプコは言う。
物不足の時代で食料は配給制、闇市場で粗末な鶏肉を探すのすら大変だった。生き延びるため詩人は行商人に、KGB(旧ソ連国家保安委員会)の大佐はタクシー運転手になった。バロック様式の通りには密造酒にやられた酔っ払いがあふれた。
そのさなかにゲルギエフはマリインスキー劇場の救済に乗り出した。ネトレプコとニキーチンは連日、複数のオペラに出演した。20代前半で舞台に放り出され、「追い詰められてぼろぼろだった」とネトレプコは言う。クラスメイトの多くは挫折した。