収容所国家中国の深い闇
「欧米の中国像は幻想だ」
人権活動家の劉安軍(リウ・アンチュン)は数年前、土地収用の補償を受けていない人々の支援組織を立ち上げた。すると政府が雇った2人の暴漢に襲われ、一生松葉杖が手放せない体になってしまった。それでもひるまずネット上で活動を続けたところ、数万人の支援者が集まった。艾もその1人で、活動資金を寄付していた。
昨年、劉は警察に連行され、山間部や北京のホテルに軟禁された。暴力は受けなかったが、警察は劉の車の電気系統を切断するなど、釈放後も劉を簡単には自由にしなかった。
今年2月、再び劉のところに警察がやって来た。今度は劉と非営利団体「陽光公益」のボランティア1人、そして74歳の女性が激しい暴行を受けた。劉は連行されて尋問を受け、釈放されても数日後にまた逮捕された。
尋問ではさまざまな写真や映像を見せられ、そこに映っている活動家の名前を教えるよう言われた。拒否すると何日も眠らせてもらえなかった。ようやく釈放されたとき、劉は睡眠不足とハンストのため衰弱して入院しなければならなかった。
「欧米諸国はまだ中国という国と、中国との人権対話について幻想を抱いている」と、劉は言う。「私たちには逃げ場がない。中国は一党独裁体制だ」
もちろん、人民が抑圧されたり残虐な仕打ちを受けるのは、今に始まったことではない。1949年の建国後には地主階級が組織的に殺された。その約10年後には毛沢東が主導した経済改革「大躍進」の失敗で数千万人が餓死。さらに60年代後半からの文化大革命では数百万人が組織的に抑圧され、拷問され、殺された。
刑務所から出たものの
天安門事件後、政府の関心は民主化運動の抑圧よりも経済に移ったかにみえた。外国旅行規制は緩和され、人権を強化する努力も見られた。ただしこうした改革は、あくまで権力維持という共産党の究極的な目標の前では二の次でしかなかった。
艾は国際的に知られたアーティストだし、有名な詩人の息子だから、政府の手が及ぶことはないと思われていた。ある当局者は、「艾の逮捕で『不正行為』の責任を逃れられる者はいないことが明らかになった」と言う。
元共産党幹部で天安門事件後にアメリカに亡命した高文謙(カオ・ウエンチエン)は、艾は釈放されたものの100%自由になったわけではないとみる。「艾未未は小さな刑務所から外の『刑務所』に移されたにすぎない。常に喉元にナイフを突き付けられているようなものだ。政府批判を続ければ、すぐに喉をかき切られる」
艾は釈放されたが、政府の許可なしには北京を出られないし、1年間メディアのインタビューにも応じられない。艾のツイッターのアカウントには8万8000人のフォロワーがいるが、ツイートも禁止。事実上の口封じだ。
それでも艾の過去の発言は、現在にも通じる響きを持っている。「中国では歴史的に政府が情報を公開してこなかった。だから人民にとって真実を知るのは常に難しいことだった」と、艾は09年11月に本誌に寄稿した。「市民に基本的保護が与えられないなら、経済が成長したところで何の意味があるのか」
[2011年7月 6日号掲載]