中東和平ネタニヤフの見えない真意
イスラエルが東エルサレムの入植地での新規住宅建設を認めたことで、中東和平の実現は遠のいた。9月には大幅譲歩の姿勢を見せたネタニヤフ首相の真の狙いを探る
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父子の絆 大きな決断の前には必ず父親ベンツィオン(左)の意見を聞くと言うネタニヤフ(09年) Getty Images
イスラエル首相たるもの、顧問や側近といった身内以外の者とじっくり話し合ったりはしない。だが09年6月、翌日に重要な演説を控えたその日、ベンヤミン・ネタニヤフ首相はイスラエルの小説家エヤル・メゲド(62)と2時間を共にし、彼の意見に耳を傾けた。
09年3月末に首相に就任してから2カ月ほどが過ぎていた当時、ネタニヤフはバラク・オバマ米大統領から強い圧力をかけられていた。パレスチナ国家の樹立を承認せよ、という圧力だ。
ネタニヤフが6月14日にラマトガンにあるバルイラン大学で行う予定だった外交方針演説は、大きな意味を持つはずだった。前日の午後、メゲドと彼が同伴した作家のダビド・グロスマンは首相に進言した。アラブ世界に手を差し伸べ、パレスチナとの長い紛争に終止符を打つべきだ、と。
「ネタニヤフは大胆な姿勢を示すべきだと、私は考えていた」。メゲドはそう当時を振り返る。メゲドとネタニヤフの関係は単純なものではない。2人が友人付き合いを始めたのは10年前。ネタニヤフがメゲドの著作を読み、称賛のメッセージを送ったのがきっかけだった。
以来、メゲドと妻はネタニヤフ夫妻とよく会うようになったが、その関係は小説家としてのメゲドのキャリアを傷つけているようだ。左派的な政治観を持つ作家仲間の多くが口も利いてくれなくなったと、彼は言う。左派系のイスラエル紙ハーレツも彼の著作の書評を載せなくなった。
■「懐疑的な人々を驚かせる用意がある」
演説の当日、テレビの中継番組を見たメゲドは驚いた。彼らが提案した文章を、ネタニヤフは1つも盛り込んでいなかったのだ(電話で話を聞いたグロスマンもそのとおりだと認めた)。
確かに、ネタニヤフは条件付きでならパレスチナ国家の樹立を認めてもいいという姿勢は示した。だが中途半端な内容の演説には、メゲドたちが望んだ寛容の精神はかけらも見当たらなかった。
これは政治的な侮辱であるだけでなく、個人的な侮辱だとメゲドは受け止めている。「あれ以来、妻に何度もこう言っている。(ネタニヤフは)流れに逆らう私の勇気をたたえたが、彼自身にそんな勇気はない、と」
ネタニヤフは今週ワシントンを訪問し、中東和平をめぐって9月2日から開催されるイスラエルとパレスチナの直接交渉に臨む。約1年9カ月ぶりに行われる直接交渉の成功の鍵は、ネタニヤフの覚悟にある。自分の過去と現在を構成するすべてのもの──自らが率いる右派連立政権、対パレスチナ強硬派で知られる父親、タカ派政治家として鳴らす自身の経歴に逆らう覚悟があるのか。
8月22日、ネタニヤフはパレスチナとの和平協定を真剣に求める姿勢を示して「批判派や懐疑的意見を持つ人々を驚かせる」用意があると発言した。だが、ネタニヤフはイスラエルの治安が保証されるなら大幅に譲歩すると明言しているものの、その詳細については少しも語らない。おかげで突然の和平路線への転換は、アメリカからの圧力をかわす手段ではないかとの疑念が噴き出している。
「誰も首相の考えを正確に知らない」と、ネタニヤフと近いある補佐官は言う。「彼は内輪の会議でも詳しいことは言わない」
歴代首相の信念を覆した人口統計上の脅威
ここまで慎重とは、ネタニヤフらしくない。政治家人生の大半において、ネタニヤフはイスラエルで最も率直かつ筋金入りのタカ派であり続けてきた。90年代後半に初めて首相を務めた際には、93年にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)が結んだオスロ合意を踏みにじるまねをした。著書では、パレスチナ国家の樹立がイスラエル存亡の危機となる理由を長々と論じている。