イギリス人処刑を強行した中国の論理
国外で高まる非難の声を無視してイギリス人の麻薬密輸犯の死刑を執行した背景には、急変する国内事情と深いトラウマがあった
法と秩序 シャイフの死刑は犯罪に対する中国の強い姿勢を示すものだ(写真は、盗みで捕まり通りで手錠をかけられた男。08年、四川省青川県) Nir Elias-Reuters
多くの人が忘れてしまっているが、中国政府の独裁的なリーダーたちは、国の統治を国民から任されている。中国の安全と力と繁栄を保っていれば、国民も反発を控え、政府による抑圧にも耐えるだろう。しかしそうできなければ、今のイランのような混乱に陥る。
そう考えれば、09年12月29日に中国で執行されたイギリス人の死刑は、報道で指摘されるような外交上の失態ではなく、国内政治における英断だったことがわかる。死刑になったのは、パキスタン系イギリス人のアクマル・シャイフ。07年に3.6キロ以上のヘロインを中国へ持ち込んだ罪に問われ、死刑判決を受けた。
中国の司法当局がとりわけ脆弱に見える事件が頻発していただけに、この一件は彼らが多少なりとも自尊心を取り戻すチャンスを与えたかのようだ。
12月29日に刑が執行されると、イギリスでは非難の声が巻き起こった。ゴードン・ブラウン英首相や閣僚、シャイフの家族などが、過去に精神疾患を患ったことを理由にシャイフの減刑を中国政府に求めていたからだ。
中国側は、精神疾患の病歴を示す証拠はなく、中国で精神鑑定を行うことも拒否した。本当は、真実を知る必要がなかったのだろう。この死刑は中国にとって有益なものだったからだ。
執行後、遺憾の念がないことを示すように、中国公安当局はアフガニスタン籍の2人とパキスタン籍の2人を麻薬密輸容疑で逮捕。場合によっては、彼らも極刑を受ける可能性があるとした。
頻発する異常な殺人事件が引き金
政府の厳格な姿勢の背景には、過去6週間近くにわたって次々と異常な殺人事件が発生していることがある。湖南省では12月12日、出稼ぎから帰省していた男性が親族をナタなどで襲い、家屋に放火して少なくとも11人を殺害した。
河北省では、口論を根にもった男性が7人の親類を鈍器で殺害した後、飛び降り自殺した。北京郊外では、新年の宴席で5人が殺される事件が発生。目撃証言によれば、被害者には容疑者の恋人や妊娠中の女性も含まれるという。
何事も思いどおりになるというイメージを国民に与えたい中国政府の意思に反し、次々と巻き起こる残忍な事件は国家の自信を揺るがせている。
シャイフの家族が主張していたように、彼は麻薬ディーラーにだまされて運び屋にされただけかもしれない。麻薬ディーラーは、シャイフが世界平和を願って作った歌をレコーディング契約すると約束していたという。
しかし中国政府はシャイフを死刑にすることで、人々にこう訴えた。あなたたちを敵から守るため、われわれは最善の策をとる。その敵がナタをもった殺人鬼だろうと、スーツケースに麻薬を詰めた密輸犯だろうと。
アヘン戦争と治外法権の屈辱
同時に中国政府は、シャイフを精神障害者以上の存在に仕立て上げた。彼の母国イギリスで解放を求める声が高まったことで、中国政府は「トラウマ」を刺激された。イギリスの帝国主義とアヘン戦争をめぐるトラウマだ。
19世紀半ばのこの戦争は「国家の恥」とされ、中国の子供たちは学校でこう教わる。中国にとって恥ずべき軍事的敗北であり、香港をイギリスに譲渡する結果を招き、アヘン中毒を蔓延させ、中国でのイギリスの治外法権を認めることになった。
とりわけ治外法権は中国をいらだたせた。イギリスから見れば、中国の司法システムはお粗末だといわれているようなものだったからだ。