クリントン訪朝で金正日の高笑い
米政府は沈黙しているが、クリントンを選んだのは記者解放以外のねらいもあるからだ
セカンドチャンス クリントンにとって、金正日との交渉は大統領時代にやり残した仕事だ(8月4日、平壌) Reuters
8月4日、ビル・クリントン元米大統領の電撃的な訪朝を受け、北朝鮮は拘束していた2人のアメリカ人記者、ローラ・リンとユナ・リーの特赦を発表した。
北朝鮮メディアは、クリントンがバラク・オバマ米大統領からの北朝鮮に対する謝意などの口頭メッセージを伝えたと大々的に報道。一方で米政府はこれを否定し、クリントンの訪朝は記者の釈放を求めるための「完全にプライベートな」行動にすぎないとコメントした。
実際のところ、今回の訪朝の真意はどこにあるのか。それを読み解くカギは、約10年前にあるようだ。任期切れを目前に控えた当時のクリントン大統領が、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記を相手に繰り広げていた外交政策だ。
当時、アメリカと北朝鮮は合意まであと一歩のところまで迫っていた。北朝鮮はすべてのミサイル輸出をやめ、ミサイル開発、実験、配備も中止する。その見返りに、北朝鮮は外交相手として全面的に認知され、アメリカと日本から多額の援助を得る。そして何より、米大統領の平壌訪問が実現するはずだった。これは、マデレン・オルブライト米国務長官(当時)の上級顧問だったウェンディ・シャーマンや、その他の政府関係者が私に語ったことだ。
シャーマンをはじめとする北朝鮮専門家は、金がクリントン訪朝を強く望んでいるのは明らかだったと振り返る。これが実現すれば金政権の正当性が認められ、安全保障も手に入れることができるからだ。
「元大統領の私的訪問」作戦には前例も
00年10月、クリントンと北朝鮮のナンバー2である趙明禄(チョ・ミョンロク)国防委員会第一副委員長の極秘会談がワシントンで行われ、趙は金本人からの伝言としてクリントンを北朝鮮に招待した。その1週間後、オルブライトによる歴史的な訪朝が行われたのは、大統領の北朝鮮訪問を実現する事前作業の意味合いがあった。
北朝鮮を訪れたオルブライトは金とともにスタジアムに姿を見せ、98年に発射されたテポドン1号を描くマスゲームを鑑賞した。その場に居合わせたシャーマンによると、金は威勢よく、期待に胸を膨らませた様子でオルブライトにこう言ったという。「あれはあのミサイルの最初の発射実験だった。そしてきっと最後になるだろう」
これは、94年を最後になかなか進展しなかった米朝交渉がハイライトを迎えた瞬間だった(94年にはクリントンは、北朝鮮の核開発凍結と引き換えに援助と軽水炉を提供する米朝枠組み合意を成立させた。注目すべきなのは、この合意がやはりジミー・カーター元大統領による訪朝に端を発していたことだ。当時も今回と同様、政府は「プライベートな訪問」としていた)。
だが、北朝鮮が示唆したミサイル発射停止の交渉は失敗に終わる。北朝鮮が韓国と日本に対する抑止力としていたノドンミサイルを、ミサイル発射の猶予(モラトリアム)から排除するよう求め、さらに任期切れ直前のクリントンが中東和平交渉で忙しくなったからだ(この中東和平交渉も失敗に終わった)。
結局、クリントンの訪朝は実現しなかった。その数カ月後に金正日は、新しく大統領に就任したジョージ・W・ブッシュが前任者とはまったく異なる考えを持っているのを知ることになる。