韓国語翻訳者にはどうやってなるの? 大ベストセラー韓国エッセイの翻訳者に聞く、翻訳という仕事の魅力
──翻訳者に憧れている人は多いと思いますが、そもそもどうやってなるのでしょうか? 生田さんご自身のご経歴も含めて教えてください
2004年にソウルにある法律事務所で現地採用されて翻訳者になりました。主に日本企業が韓国企業と取引をする際の契約書や、取引関係がこじれて紛争になったときに裁判所に提出する文書などを翻訳する仕事です。
韓国に住んで10年目を迎えた頃、「記念になにかしたい」と思いました。当時、会社勤めと並行して韓国の放送通信大学で韓国文学を学んでおり、韓国の小説にはまっていました。
「これを一人だけで楽しむのはもったいない!」と思っていたのもありましたが、日本の人気小説は韓国ですぐに翻訳出版されてベストセラーになるのに、その反対のケースがほとんどないということにも違和感がありました。
そんなときに「新しい韓国の文学シリーズ」を出している日本の出版社クオンに、それまでに私が読んで面白いと思った本の試訳と自己紹介を郵送したのです。持ち込み営業のマナーもよく知らないし、返事は当然ないだろうと思っていました。
しかし、ちょうどその頃、クオンが中心となって立ち上げたK-BOOK振興会が日本の出版社を対象に「日本語で読みたい韓国の本」を紹介するイベントを行うことになりました。その冊子づくりのお手伝いしたのがご縁で、ファン・インスク著『野良猫姫』(クオン)を翻訳する機会をいただきました。
それからイ・ミョンエ『いろのかけらのしま』(ポプラ社)、キム・ヘジン『中央駅』(彩流社)、チョン・アウン『主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら』(DU BOOKS)を翻訳する機会も得ました。
ダンシングスネイルさんの『怠けてるのではなく、充電中です。』『ほっといて欲しいけど、ひとりはいや。』(ともにCCCメディアハウス)、『幸せになりたいけど、頑張るのはいや。』(SBクリエイティブ)などは、そのご縁が広がったものです。
──韓国語にそもそも興味を持った理由や経験について教えてください
はじめて韓国語に出会ったのは大学1年生のとき(27年前!)です。入学して、第2外国語として選択しました。
フランス語のような人気言語を申し込んで抽選で落ちるくらいなら、最初からあまり人気のなさそうなところへ行こうと思った記憶があります(笑)。
当時はヨン様の韓流ブーム前で、韓国語はそれほど人気もなく、私自身も「アンニョンハセヨ」も知らなければ、韓国へ行ったこともありませんでした。
とても面白い先生に出会って授業は楽しかったのですが、1年間だけ履修してやめてしまいました。その後、就職後に勉強を再開して、今に至ります。