『リーン・イン』を期待された高学歴女性「ヒーブ」の苦悩は、男性にとっても他人事ではなかった
それでもいまのポストを得る前には、不安定な身分に置かれ、将来を悲観する日々を過ごしていた。その心の傷はいまもまだ完全には癒えていないし、恵まれたポストに見合う仕事ができているかどうかという不安はいまも、そしておそらくこの先も尽きない。
与えられた環境のなかでの主体的な努力が、既存の競争秩序を維持・強化することになるということはわかっている。絶望するのは簡単だとも思う。
それでも歴史家としての私は、そうした秩序からの真の解放を願わずにはいられないし、それでも生身の人間としての私は、私なりによりよい仕事をしていく努力を重ねることで、いまという時代を生きるほかない。
そうした私の不安や迷いは、ヒーブの困難や葛藤からみれば、取るに足らないものだと思うが、史料を読む私にとっては大切なものであった。
ともあれ、当事者性や切迫した実存的理由がなくても、歴史は書ける。そもそも歴史家が史料を読んで歴史を書けるのは、歴史家として史料を読んでその内容を理解できるからである。
親の店を手伝ったことがなくても流通業の歴史を書くことはできるし、旋盤を扱えなくても機械工業の歴史を書くことはできるのである。本書もまた、私個人の私的な雑感を綴ったものではもちろんなく、消費史や労働史に関わる学問上の関心に貫かれた歴史叙述である。
そして、そうであるからこそ、いまを生きる生身の人間である読者のもとに届く内容になっていると、私は信じている。
『消費者をケアする女性たち──「ヒーブ」たちと「女らしさ」の戦後史』
満薗勇[著]
青土社[刊]
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)