社会の「枠」をはみ出すな──塗り絵に潜む服従のメッセージ
A Dark, Forgotten History
19世紀の塗り絵には子供への教訓が詰め込まれていた GEORGE MARKS/GETTY IMAGES
<コロナ禍でブームの塗り絵の歴史をひもとくと自由な芸術表現とは正反対の不都合な真実が浮かび上がる>
コロナ禍で巣ごもり生活が続くなか、私の心を癒やしてくれたのは塗り絵だった。ウサギの笑顔を輝かせ、人通りの消えたサンノゼの街並みをよみがえらせ、エッフェル塔のイルミネーションを光らせる──。塗り絵のおかげで人との交流や旅への希望を感じ、この壊れた世界を元通りの姿に戻せる気がしてくる。たとえそれが、紙の上の、その場限りの楽しみだとしても。
私だけではでない。ニューヨーク・タイムズ紙は4月、塗り絵には不安を軽くする効果があると報じた(ぺンを「往復させる動作を繰り返すことで、日常のストレスを一時的に忘れられる」という解説を、私は何度も自分に言い聞かせた)。インスタグラムではおしゃれな人々が自粛生活の今は大人にも塗り絵が最高とアピールし、ネットには無料の下絵があふれている。
社会の「枠」をはみ出すな
きっかけは、塗り絵アプリの派手な広告が何日も表示されていたことだった。アプリをインストールして白黒の下絵を眺めるうちに、絵筆や消しゴム、絵の具のアイコンに手が伸びた。画面を指で拡大して色を塗り、枠からはみ出した部分を必死で消す作業に夢中になった。
だがやがて、美術史を学んだ人にはおなじみの懸念が脳裏をよぎり、気分が重くなった。昨今の塗り絵ブームは、塗り絵の効能といわれる創造性がかき立てられた結果ではなく、塗り絵に秘められた「人を服従させる力」の産物」ではないか──。
そもそも、塗り絵が登場した目的はそこにあった。塗り絵の人気がピークを迎えたのは、子供のしつけに役立つとされた19世紀のこと。そして当時と同じく、コロナ時代を生きる私たちも何かに服従したいという渇望を抱えているように思える。
塗り絵帳の第1号といわれる『リトル・フォークス ペインティング・ブック』は、朝寝坊や身勝手な行動を戒める歌や物語の絵に色を付けるという内容だった。なかでも象徴的なのが巻末の物語だ。
退屈な田舎生活から逃れたいと願う兄妹が魔法のじゅうたんに出合って旅に出るが、二度と家に帰れないという悲惨な物語で、「不満を持つな。手に入らないものを欲しがるな」という警告が付いている。まさに「枠からはみ出してはいけない」という塗り絵の神髄を体現しているようだ。
歴史的に、色付けの作業は素描(デッサン)より格下と見なされてきた。ルネサンス期のフィレンツェでは、芸術家が自分を職人ではなく文化人だと証明する手段として素描が使われた。人物をどこに配置し、どう描くかによって評価が決まるため、彼らは何時間もかけて構図を練った。
もちろん、色を塗る工程にも意義はあった。人物の頬に赤色を載せることで、作品に命の輝きが吹き込まれたものだ。とはいえ、着色は重要度の低い第2工程の作業。レオナルド・ダビンチの『絞首刑にされたべルナルド・ディ・バロンチェッリの素描』でも、男が着ている服の色については絵の横に文字で記されているだけだ。