社会の「枠」をはみ出すな──塗り絵に潜む服従のメッセージ
A Dark, Forgotten History
塗り絵が振りまく幻想
素描を重視する考え方は、イギリスの作家ヘンリー・ピーチャムによる1622年出版のマナーガイド『完璧なる紳士』にも受け継がれている。ピーチャムは紳士の条件として素描の習得を挙げた。ただし同時に、「記憶を強固にするための訓練」として色を塗る作業も奨励した。つまり、色塗りは何かを創造するのではなく、学んだことを内在化する手段なのだ。
ピーチャムは特に、地図に色を塗りながら主要都市や国境(当時は国境をめぐる衝突が激しかった時代だ)を覚えることを推奨した。支配者が構築した世界を受け入れ、さらにそれを喜んで守るために塗り絵の活用を呼び掛けたのだ。彼にとって、そして塗り絵に熱中する私にとっても、色塗りは政治的な現状を維持する手段となっていった。
色を塗るとは、他人が設計した世界で暮らし、既存の仕組みを暗記する以外に選択肢のない環境で生きるということなのだ。でも私は、コロナ禍で押し付けられた狭い世界がどんな感覚かを、わざわざ思い知らされたくはない。
それ以上にうんざりするのは、塗り絵が振りまく幻想だ。塗り絵がもたらすのは活力ではなく、ただの慰め。1980年代前半には出世街道のゴールだった車の絵、数年前に は俳優ライアン・ゴズリングとのデートシーン、そして最近は現実逃避と消費文化を象徴するユニコーンや、商品で埋まった店舗の絵が人気だ。
そんなちっぽけな夢に色を塗る作業に明け暮れた末、私は塗り絵に費やしたエネルギーのせいで未来を生み出す想像力が減退したと自覚するようになった。結局、アプリは削除した。
もしも自粛生活が続くなかで、誰かから塗り絵を渡されたら? そんなときは下絵をビリビリと破り裂いた上で、その紙片を集めてコラージュを作るようおすすめする。
既存の世界を甘受するのではなく、今ある資源を守りながら新たな世界をつくり上げる。それこそ、真の意味での芸術表現なのだから。
© 2020, The Slate Group
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[2020年9月 8日号掲載]