「結婚を1人の男と女の間に限定したところで、異性愛性が真に保証されるわけでは決してない」
Not as Straight as We Thought
──かなり下世話な関心を呼ぶテーマだと思うが。
手紙や聞き取り調査から分かったのは、性的なことをあけすけに言う女性は多くなく、詳細についてはあまり触れない人が大半だということだ。 レズビアンに関する歴史の多くが「実際に性器の接触はあったのか否か」という問いにとらわれている。だがそれだけにこだわって同性愛者かを定義していいのか。
私はそういった線引きはしないことにした。欲望は性的なものであると同時に、ロマンチックなものでも感情的なものでもある。そして多くの女性たちが語ったのはそういった欲望についてだった。
──本書では、カミングアウトしたレズビアンが既婚女性を見下していた点にも触れられている。
活動家たちは既婚女性のことを、カミングアウトもできず自己嫌悪に陥っている人たちで、政治的にも間違っていると考えていたが、この本を書くなかでその轍は踏まないように気を付けた。私はレズビアンの既婚女性が置かれた困難な状況を解明したかった。
活動家から既婚女性に対するプレッシャーが時代とともに強まった点も伝えたかった。50年代から60年代初めにかけてのレズビアンの活動家は、同性への欲望を経験した多くの女性に対し、深い同情と理解を示していた。
ところが70年代、レズビアンのフェミニストは「あなたは選択しなければならない。結婚したままでいることは政治的敗北だ。社会の同性愛への憎悪に立ち向かえないばかりか、結婚せずにレズビアンとして生活している他の女性たちに実害を与えている」と、既婚女性にプレッシャーをかけるようになる。
──あなた自身が興味深いと思ったケースは?
本の冒頭で取り上げた作家のアルマ・ラウトゾングの生涯だろう。とてもつらい物語でもある。彼女は60年代初めにレズビアンの恋人と暮らすために夫と別れたが、これは当時としては非常に珍しいことだった。また、彼女は子供の親権を夫に渡す決断もしたが、それを後悔するようになる。夫のせいで子供たちとなかなか会えなくなってしまったからだ。
──この歴史が同性婚をめぐる議論の材料になるべきだとあなたは述べている。「結婚を1人の男と人の女の間に限定したところで、結婚の異性愛性が真に保証されるわけでは決してない」と。
50年代の、絵に描いたような牧歌的な白人中流階級の異性婚イメージを結婚の理想像として考える人は多いが、現実は一般に思われているようなものではなかったことをはっきり示したかった。当時の夫婦関係は一般的に思われているほど「ストレート」ではなかったのだ。
夫も妻も離婚を避けるため、私たちが当時の結婚について持つイメージよりも柔軟な夫婦関係を築かなければならなかった。そして結婚生活には多くの嘘があった。
【参考記事】英レズビアンカップル暴行事件、被害者2人の危機感