「外交」で復活した悪童ロッドマン
引退後は酒に溺れ、パーティー三昧の日々に。かつては人々の耳目を引き付けたとっぴな振る舞いも輝きを失い、もはや誰にも見向きされなくなった。平壌の映像が公開されるまでは。
ロッドマンの人生に「啓示」の瞬間があったとすれば、それは93年のある日の深夜のことだった。場所は、デトロイト郊外のオーバーンヒルズ。デトロイト・ピストンズが試合をしたスポーツ施設の駐車場だった。そのとき、ロッドマンはピックアップトラックの車内にいて、膝の上にはライフルがあった。本気で自殺を考えていた。
ロッドマンは、ピストンズでプレーすることが大好きだった。ピストンズは、もう25歳になっていたロッドマンの素質を見いだしてくれたチーム。ヘッドコーチのチャック・デーリーにも目を掛けてもらっていた。
フォワードとして活躍するには小柄だったが、ピストンズに入団するとリバウンドの名手になろうと心に決めた。ロッドマンはその素質に恵まれていた。
ホームレスだったことも
だがその夜、ロッドマンは人生に行き詰まっていた。父親同然の存在だったデーリーが解任されたのだ。「人々が期待する自分でいられなくなっていた」と、彼は自伝に記している。
NBAで成功する以前のロッドマンは、麻薬密売人か強盗になるしかないような荒れた人生を送っていた。高校時代にバスケットボールを始めたが、1年でやめてしまった。高校卒業時の身長はわずか177センチほど。仕事を3つ掛け持ちしてきた母は、自堕落な息子を家から追い出した。ホームレスになって町をうろつくロッドマンに、未来などないようにみえた。
だがその後、身長が2年間で20センチ以上伸びると、彼は突然、バスケットボールに目覚めた。ピストンズに入団後3年間は冴えなかったが、4年目に大活躍。89〜90年シーズンにNBA最優秀守備選手賞を受賞すると、その2年後から7年連続でリバウンド王に輝いた。
93年のその夜、膝にライフルをのせたロッドマンは、自分を解き放つことを決意した。現状維持が嫌いで、反抗心を抑えることができない自分を解き放つ必要があるのだ、と。
その年のシーズン終了後にトレードでサンアントニオ・スパーズに移ったロッドマンは、チームの新たな本拠地アラモドームの開幕式にちりちりの金髪頭で現れた。染めるのに時間がかかり、30分遅れで登場した彼は、マイクをつかむと観客に言い放った。「俺のことが好きでも嫌いでもいい。とにかく、俺がコートに立ったらすごいからな」
エスクァイア誌のラーブは、94年にGQ誌の取材で初めて会ったロッドマンの印象を「気さくで楽しい男」と記した。NBA選手で恐らく初めてタトゥーを入れ、ハーレー・ダビッドソンのバイクに乗り、少年時代の夢を生きている男だと──。
だが、その後移籍したブルズで3年連続優勝という絶頂期の真っただ中にあった97年にラーブが再び記事を書いたとき、彼はもはや無邪気な大きな子供ではなかった。性的アイデンティティーに悩み、仲間から孤立し、酒を浴びるように飲みながら内なる悪魔と戦う大人だった。