銃支持派が導く被害妄想な未来
「人を殺す自由」を守る?
しかしラピエールには、こんな確率論は通じない。法と慣行と倫理の代わりに銃が人々を守る病的な被害妄想の世界。それがラピエールの世界だ。
その目に映るアメリカは、犯罪に対して弱腰なために崩壊の危機に瀕している国にほかならない。「もう1度ハリケーンなりテロ攻撃があれば、暴力と虐待の悪夢が国家規模で繰り広げられる状況になる」と、ラピエールは人々に脅しをかける。
ラピエールの言う暴力と虐待の悪夢とはどういうものなのか。05年にアメリカ南東部を襲ったハリケーン「カトリーナ」の被災地で何が起きたか思い出してみるといい。警官と人種差別主義者たちが非武装の市民を射殺した。あれはまさに悪夢だった。
彼らはなぜそんなことをしたのか。危険人物が市民の安全を脅かすというNRAの主張を信じていたからだ。だから彼らは罪のない人々を、危険な不審者と思い込んでしまった。コンビニ帰りの黒人少年を危険な犯罪者と思い込んだフロリダ州の自警団員ジョージ・ジマーマンも12年2月、同じ過ちを犯してしまった。
ラピエールは市民を守るために「現役と退職した警官、現役または退職した兵士、予備役、警備員、消防士、レスキュー隊員、訓練を受けた愛国者たちを何百万も」動員すべきだと訴える。銃、銃、銃。無数の銃で犯罪を防げ、という論法だ。
警官1人いれば悲劇は防げると彼は言う。「外国に多額の援助を行っているアメリカには、すべての学校に警官1人を配置するくらいの予算はあるはずだ」
それはどうか。試算によると、警官配置を実施するための予算は年間64億ドルに上る。
NRAのイデオロギーが実にユニークなのはこの点だ。銃規制をめぐる議論では、規制強化で基本的な自由が脅かされるという主張が必ず聞かれる。全体主義の警察国家への道から個人の自由を守るためには、無数のアメリカ人が無数の銃を所持する必要があるというのだ。
だが、ラピエールの描く未来のアメリカ社会はどんなものか。そのスピーチからキーワードを拾ってみるとこうなる。「武装した警備員、防犯建築、建物の出入り管理、情報技術の駆使、心を病む人のデータベース構築......」
これがNRAの言う自由な国だ。幼稚園は高い塀に囲まれ、すべての市民の精神状態を国家が監視し、ありとあらゆる場所で警官が目を光らせる......。
銃規制の緩和と犯罪の関係については専門家の議論が続くだろうが、確かなことが1つある。国民の武器所持の権利を保障した合衆国憲法修正第2条と不当な捜索を禁じた同4条が両立し難くなっている事実だ。
NRAの圧力で銃規制の緩和が進むにつれ、警察の監視対象が広がっている。今や政府が個人のメールをのぞき、電話を盗聴し、住宅地の上空を警察の無人監視機が飛び回っている。
ラピエールはこうした事実に目をつぶり、ビデオゲームとメディアをやり玉に挙げるばかり。彼の望む国家は醜悪な抑圧国家だ。そこでは銃の文化が大いに栄える。NRAとその支持者が死守しようとする唯一の自由とは、人を殺す自由にほかならない。
© 2012, Slate
[2013年1月 9日号掲載]