ウィキリークス爆弾で外交は焼け野原に
中東の重要地域で米大使を歴任した人物が今朝、私にこんな個人メールを送ってきた。「今後は文書による報告や、通信がさらに減ることになる。後になって何が起きたのかを整理することを考えたら、最悪の事態だ。今でさえ難しいのに、今後はもっと難しくなる。みんな(もしくは内情に精通している人々)が口頭で情報伝達を行うようになる。子供の頃に『伝言ゲーム』をやったことはあるかい?」。
何人かで次々とメッセージを伝達していくと、最後の人には最初のメッセージが正しく伝わっていない、というあれだ。彼が予想するには、政府内部のやりとりは伝言ゲームのようになる。
ペンタゴン・ペーパーとは次元が違う
中国との微妙なやり取りや、リビアの最高指導者ムアマル・カダフィ大佐がセクシーな「ウクライナ人看護師」と恋仲にあるという内容には、私も好奇心を掻きたてられた。しかし今回の機密文書については、公表することに意味があるのか疑問に思えてくる。
ベトナム戦争に関する国防総省の機密書類「ペンタゴン・ペーパー」や、ウィキリークスが今年になって暴露したアフガニスタンやイラク関係の文書は、非難の的となっている戦争の内情を暴露したり、既知の事実を再認識させるのに役立った。だが今回の暴露は、極秘の外交交渉という考え方自体に喧嘩を売っているようなもの。こうしたやり方は間違っているだけでなく、馬鹿げている。
ライアン・クロッカー元イラク駐在米大使の言葉を借りるなら、「アサンジはアナーキスト(無政府主義者)だ。政策論争に関心があるのではなく、暴露することだけが目的なのだ」。
電子メールやフェースブックの利用者なら、何が問題なのか分かるはずだ。私たちは情報を送りたい相手や、公開してもいいと思う情報を選んでいる。だから、自分のメールが知らない間に転送されていたら不快に思うだろう。フェースブックでは、自分がアップした情報の公開先について自分でもっとコントロールしたいという要求が高まっている。
外交官にもこれくらいの機密性が保障されてもいいはずだ。政府の透明性は原則としては正しいし、奨励すべきだ。だが高すぎる透明性はコミュニケーションを円滑にするのではなく、押さえつけてしまう。今の状態がまさしくそれだ。