「コーラン焼却」集会も言論の自由か
ジョーンズと彼の教会のわずか50人の会衆がアメリカ国内にもたらす危険は小さなものだろう。既に多くの宗教指導者が、ジョーンズに非難の声を上げている。一般的なアメリカ人も、ジョーンズの行動や彼に共感する者に対して、嫌悪感を抱くと信じたい。
アフガニスタンのイスラム武装勢力タリバンのウェブサイトでさえ、論理や事実を捻じ曲げたり、憎悪を煽るという点ではジョーンズにかなわない。「コーラン焼却」を呼びかけるグループのフェースブックを見れば、その主張の汚さにへどが出る思いだ。
そんな権利は尊重しがたい
しかし、もうすっかり熱を帯びてしまった現在のアフガニスタンでは、ジョーンズの軽率な行動は冗談抜きで、石油タンクに火のついたマッチを放り込むようなものだ。
アフガニスタンのアメリカ中央軍司令官デービッド・ペトレアスは、コーランの焼却集会は「米軍を危険にさらしかねない」と批判した。だが米軍以上に危険にさらされるのは、アフガニスタン人自身かもしれない。かつて米軍兵士がコーランを冒涜したとニューズウィーク米国版が報道したとき(後に誤りと判明)、抗議行動で死亡者が出たが、犠牲になった15人はすべて抗議者自身だった。
ジョーンズの支持者はほんの一握りでアメリカ人全体ではないという主張には、説得力がないだろう。ニューヨークのグラウンド・ゼロ(9・11テロで崩壊した世界貿易センタービル跡地)近くのモスク建設に反対の声が強まるなか、「アメリカ人はムスリムに『理不尽な恐怖と憎悪』なんか抱いていない」と訴えても、果たして聞いてもらえるだろうか。
残念だが、かつてフランスの啓蒙思想家ボルテールが革命家のルソーに語ったあの有名な言葉を、私は口にできそうにない。「あなたが言うことには一つも賛同できない。それでも、あなたが発言する権利を守るためには死ぬ気で戦おう」
私はジョーンズに賛同しない。表現の自由を保障する米合衆国憲法修正第1条を心から支持しているが、彼に怒りを抱かずにはいられない。ジョーンズが表現の自由を行使することで苦しめられるのは、私のアフガニスタンの友人たち、そしてイスラムの国で生活し働くことを選んだアメリカ人なのだ。
(GlobalPost.com特約)