ネバーランドを探して
若くして伝説となり、人種差別というアメリカン・ホラーの中で苦しみ抜いたキング・オブ・ポップ
壊れた天才 1年前に急逝した「キング・オブ・ポップ」は世界に何を残したか Gene Blevins-Reuters
本当だ。短い間だったけれど、マイケル・ジャクソンは本当の「キング・オブ・ポップ」だった。そしておそらく、最後のキング(王様)となるのだろう。
古くはフランク・シナトラが「王様」だった。エルビス・プレスリーも、ビートルズも「王様」だった。しかしマイケル以後は、音楽ジャンルの極端な細分化が進んでしまった。どんなにカリスマ的な人気の持ち主も、もはやジャンルを超えてすべて人の心を動かす「王様」にはなり得ない。
その絶頂期にはブログも携帯メールもなかったが、マイケルの訃報が伝えられると、アメリカの簡易ブログ・サービス「トゥイッター」にはサーバーが落ちるくらいの書き込みが殺到した。
マイケルが音楽界の「王様」だったのは80年代のこと。82年に発表したアルバム『スリラー』の売り上げ枚数は史上最高で、いまだに破られていない。しかもマイケルは、そのずっと以前から、自らの思い描く自己イメージをひたすら演じていた。
まだ幼さの残る時期からジャクソン・ファイブのリードボーカルとなったマイケルは、その天使のようなメゾソプラノで、意味も知らずに性的な欲望を歌い上げていた。大人になってからも、マイケルは性的存在としての男のリアリティーを欠いていた。声の高さもあるが、なんだか生身の人間のように見えなかった。
中年期に入ると、マイケルは意図的にピーターパンを、つまり「永遠の子供」を演じ始めた。広大な敷地の邸宅を遊園地に変えて「ネバーランド」と呼び、「友達」と称する子供たちを住まわせた。そして縮れた髪をストレートにし、美容整形手術も受け、不老不死で両性具有の肉体を手に入れた──と信じようとしてもいた。
悲惨だったに違いない幼い頃の記憶を消し去るために、マイケルは別なリアリティーを必要とし、それを築き上げた。それが彼の音楽であり、彼の仮面なのだ。
心の成長が止まった大人
マイケルのやってきたことの多くは象徴的だ。インディアナ州ゲーリーの黒人居住区に生まれた少年が、あのプレスリーの娘リサ・マリーと結婚した。そしてプレスリーのグレースランドに対抗してネバーランドを造り、ビートルズの版権を買い集めた。攻撃欲とは言わぬまでも、あえて独占欲と支配欲をひけらかす行為ではあった。
マイケルはまた、現実離れしたイメージをつくり上げることにも努めた。あのムーンウオークしかり、きらきらの手袋しかり。すべては「誰も私には触れられない」(その逆もしかり)というメッセージだった。
マイケルは、飛び切り愛らしい少年エンターテイナーから最高に不気味なスーパースターへと変身した。72年に大ヒットした映画『ベン』の主題歌「ベンのテーマ」は、ネズミのためのラブソングだったが、その30年後には児童に対する性的虐待の容疑で逮捕されている。この事件は裁判にまで発展したが、05年に無罪が確定した(ある精神科医は当時、マイケルは小児性愛者ではなく心の発育が止まった大人だと断じている)。
02年には生後数カ月の息子プリンス・マイケル2世を、滞在先のベルリンのホテルの窓から外に突き出して見せた。ファンが喜んだか驚いたかは別として、それはマイケルが自らの幼児性を捨て去るための儀礼的行為とも見えた。
度重なる顔の整形と慢性的な皮膚のトラブル、そして大幅な体重減などのために、最近のマイケルは吸血鬼とミイラを合わせたような姿になっていた。まるで、『スリラー』のプロモーションビデオに登場した顔面蒼白で骸骨のようなゾンビみたいだ。
あのビデオを、今あらためて見てみるといい。大勢で踊っているのがマイケルの分身で、中央に立つ本物のマイケルはまったく別人のように見える。現実離れ、ここに極まれりだ。