アメリカがイスラエルを見限る時
ネタニヤフが昨年11月の入植凍結の際に、反対する右派の連立パートナーを説得したときも、同じ論理が働いた。入植凍結と時期を同じくして、アメリカとイスラエルの安全保障上の連携が強化された。バイデンは、そうした関係をより明確に語っただけだ。
新しい発想ではない。イスラエルは過去にも度々、和平問題で譲歩する見返りとして、安全保障上の支援を取りつけてきた。最初は1949年、トゥルーマン米大統領は、中東でのイスラエルの立場をより強固にする休戦合意と引き換えに、イスラエルにエジプト侵攻をやめるよう求めた。
56年の第2次中東戦争では、アイゼンハワー政権から安全保障上の支援を受ける代わりに、シナイ半島から撤退。73年の第4中東戦争でアメリカから空輸体制の支援を受けた際にも、その見返りとして74年にエジプトとシリアから撤退した。最近では91年、湾岸戦争終結後にマドリードで開かれた和平会議で、イスラエルは戦争中にアメリカがミサイル迎撃態勢を敷いたことへの見返りとして、占領地返還に合意した。
つまり、対イラン防衛のために東エルサレム入植計画を白紙にするというバイデンの提案は、長年の慣行の延長線上にあるのだ。
先に折れるのはオバマかネタニヤフか
だがバイデンのイスラエル滞在中に入植拡大計画を発表するという最悪のタイミングのせいで、バイデンのメンツは丸潰れ。そして、イスラエルはアメリカの提案を反故にしようとしているようだ。
オバマや側近の脳裏には、90年代後半のネタニヤフの首相1期目の記憶がよみがえった。ネタニヤフは当時、前任者のシモン・ペレス首相が進めた和平を台無しにする信頼できない人物にみえたものだ。
オバマは決着をつけることにした。バイデンを乗せた飛行機がイスラエル領空を去ると、オバマ政権はいくつもの外交チャネルを使って攻撃を開始した。
ヒラリー・クリントン国務長官は電話でネタニヤフに厳しい言葉を浴びせ、イスラエル側が苦言を無視しないよう会話の内容を公にした。デービッド・アクセルロッド上級顧問をはじめとするオバマの側近も日曜日のトーク番組に出演しまくり、アメリカへの「侮辱」を非難した。どれも、イスラエルを辱めることで、バイデンがもちかけた取引を受け入れさせるための作戦だ。
しかし問題は、この作戦が機能していないことだ。ネタニヤフは発表の「タイミングが悪かった」ことについては謝罪したが、東エルサレムでの住宅建設は続けると明言している。東エルサレム問題で譲歩すれば、イスラエルの連立政権が崩壊しかねないと承知しているオバマは、アメリカの支援と右派のパートナーのどちらを選ぶのかとネタニヤフに迫っている。
ネタニヤフが選んだのは右派だ。
彼はオバマ政権による「叱責」に抗議するようアメリカ国内のユダヤ人グループに呼びかけた。連立入りしている中道左派のエフード・バラク国防相でさえ、ネタニヤフの対応を支持し、イスラエル国内でのネタニヤフの政治的立場が揺らぐことはないと請け負った。
こうなると、事態は両首脳の意地比べの様相を呈してくる。ネタニヤフが入植計画を撤回するのか、、それともオバマが親イスラエルのロビイストの圧力に屈するのか。
孤立するイスラエルは、イランの核施設への攻撃に踏み出すかもしれない。だからといって、アメリカがイスラエルに屈すれば、中東全域の反米感情を強めることになりかねない。
誰が最初に次の手を打つのかはわからない。だが、かつて理解しあっていた両国の間に、今は争いの種しかないことは確かだ。