カリスマ司会者オプラ「終了」の衝撃
全米で絶大な人気を誇るオプラ・ウィンフリーの長寿トーク番組が終わる。彼女ほどアメリカ国民が共感しあうことを可能にした人物はほかにいない
国民の「お姉ちゃん」 人々がお互いの違いより共通点に目を向ける手助けをしてきたオプラ Siphiwe Sibeko-Reuters
いずれその時が来ることは分かっていたはずだった。それでも私たちは、完全には心の準備ができていなかった。11月半ば、オプラ・ウィンフリーが20年以上続いてきたテレビのトークショーを終了する意向を明らかにした。
その後はケーブルテレビの世界に軸足を移すようだ。賢明なビジネス上の戦略なのだろう。昼間の地上波テレビのトークショーは、この10年以上、視聴率が深刻に落ち込み続けている。
もっとも、地上波のトークショーが息絶えたわけではない。その証拠に、(番組終了は2年先の11年9月だというのに)私たちは「次のオプラは誰だ」という話題で盛り上がっている。
ペイリンとは正反対の資質
実際のところ、どの「候補者」もウィンフリーに及ばない。フィル・マグローは毒舌キャラを確立しているが、精神科医のわりにはやさしさが足りない。エレン・デジェネレスはレズビアンであることを公言し、社会の同性愛者受容を推し進めたのは立派だが、聡明さより滑稽さを前面に押し出したがるきらいがある。
前アラスカ州知事のサラ・ペイリンの名前も挙がっている。もし選挙に立候補しないのであれば、テレビのトークショーのスーパースターになれるのではないかという声がある。しかし、ペイリンは人々を結束させるより、分裂させることに長けた人間だ。
ペイリンとは対照的に、ウィンフリーは、ほとんど共通点のない人々が1つの同じコミュニティーの一員だという意識を共有できるようにする上で大きな貢献をしてきた。それを可能にしているのは、親身になって先入観なしにゲストの言葉に耳を傾ける姿勢だ。
父親にレイプされた経験があっても父親のベッドに入った女優のマッケンジー・フィリップスや、性的衝動に負けて男娼と関係を持った牧師のテッド・ハガード。テレビの前の視聴者はウィンフリーと一緒に、このような人たちの話を聞き、理解しようと努力する。もしウィンフリーが娯楽や刺激だけを求めてこの種の話題を取り上げているのであれば、視聴者はそういう気持ちにならないだろう。
確かに、お涙頂戴の作り話にあっさりとだまされて、いかがわしい人物にお墨付きを与えてしまうことも少なくない。しかし、1人の人間の物語の表面だけでなく、その物語に関して私たちすべてに共通する要素に目を向けさせることにかけて、ウィンフリーの右に出る者はない。
オバマでも「後任」は務まらない
黒人であることを考えると、この20数年間にウィンフリーが成し遂げた業績はとりわけ大きい。番組がスタートしたとき、黒人女性がアメリカ国民全体の「お姉ちゃん」的な存在になる日が訪れようとは誰も思っていなかった。
ウィンフリーは、さまざまな面でバラク・オバマが黒人初のアメリカ大統領として登場する下地もつくった。何しろオバマがまだロースクールにいたとき既に、極めて多様な層との間に懸け橋を築く方法を実践していたのだ。
テレビの世界にあって、ウィンフリーはブレることなく、威厳を保ち続けてきた。ときには際どい話題を取り上げることもあったが、人々にショックを与えることより称賛することを、疎外することより結束させることを常に重んじてきた。
そんなウィンフリーの代わりが務まる人物などいるのか。まったく見当たらない。オバマは大統領選の選挙運動中に数々のウィンフリー的な資質を発揮したが、大統領になってからは党派対立の足かせから逃れられずにいる。