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追悼共にニクソンと戦ったクロンカイト
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テレビジャーナリストの草分け(1974年) CBS Photo Archive/Getty Images
ウォルター・クロンカイト(享年92歳)はテレビジャーナリストの草分け的存在で、ライバルといえばABCテレビのデービッド・ブリンクリーぐらいだった。ただしクロンカイトは大御所の雰囲気を漂わせながら、父親のような温かみがあり、それが彼を特別な存在にしていた。
72年10月、クロンカイトは自らキャスターを務める『CBSイブニング・ニュース』で、2夜連続でウォーターゲート事件の特集を組んだ。1日目の放送は14分、2日目は8分だった。後者はニクソン大統領側の反応を心配したCBSのウィリアム・ペイリー会長が放送時間を短縮させたのだろう。
クロンカイトがウォーターゲート事件を取り上げた(しかもかなりの時間を割いて)という事実は、事件にある種の信憑性を与えた。それこそ私たちワシントン・ポストが必要としていたものだった。
72年は大統領選の年で、誰もが「ワシントン・ポストの報道はニクソン降ろしを狙う政治的なもの」と言っていた。テレビジャーナリストのトップに君臨していたクロンカイトが事件を報じると人々は「クロンカイトもワシントン・ポストの味方か」と嘆いた。
ウォーターゲートは、テレビでは伝えにくい事件だった。資料も決定的な証拠もなく、視聴者に見せられるものは何もない。だからCBSは、ワシントン・ポストの紙面を画面に映すという方法を取った。私たちに取っては、これもうれしいことだった。
CBSはワシントン・ポスト、そして事件を担当した記者のボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインを英雄とたたえた。彼らほどでないにせよ、私のことも英雄扱いしてくれた。これは大変なことで、一夜にして変化を感じることができた。
それでも、アメリカ中がこの放送に影響されたわけではなかった。クロンカイトの報道から約10日後、ニクソンはライバルに大差をつけて大統領に再選された。
だが、事件を追っている私たちは放送の影響を感じていた。私たちを信じていなかったワシントンの面々の多くが、クロンカイトの報道をきっかけに考えを改めた。「彼は、当てにならない連中の味方をするような男ではない」と。
クロンカイトは、表情やしぐさによって事の重大さを伝えられる人物だった。若くもなく、強引さもなく、むやみに攻撃的でもなかった。本当にいい人だった。
権力を相手に戦うときは仲間を選ぶことなどできないが、1人だけ選ぶとすればクロンカイトはうってつけの人物だった。誰もが彼を尊敬していた。ジャーナリストとして絶大な影響力を持ち、唯一、すべての米国民に好かれたジャーナリストだった。
[2009年7月29日号掲載]