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米政治ホワイトハウスは白い監獄
自由を制約される生活にオバマはまだ慣れることができない
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大統領選の選挙運動中の08年8月、遊説先のノースカロライナ州ローリーを訪れたオバマ
Joe Raedle/Getty Images
大統領は外の空気を吸いたくてうずうずしていたに違いない。その日はロンドンにしては珍しく快晴で、空気は暖かく、空には雲一つなかった。広大な庭園には、青々とした芝生。マグノリアの木々が花を咲かせ始めていた。
それなのにこの4月1日の昼下がり、20カ国・地域(G20)首脳会議に出席するためにロンドンを訪れていたバラク・オバマ米大統領は、ずっと屋内に押し込められていた。米大使公邸に世界の要人たちを迎えて、相次いで会談をこなさなければならなかった。
安全確保とプライバシー保護の目的で窓にはしっかりカーテンが下ろされていたが、キッチンに続く扉が開閉されるたびに、庭の様子が目に入った。最後の会談相手である中国の胡錦濤国家主席を送り出すと、オバマは側近のデービッド・アクセルロッド上級顧問とロバート・ギブス大統領報道官に言った。「庭を散歩しよう」
警護スタッフは「パニック状態」になったと、オバマのある側近は言う(この種の取材に応じるときの通例どおりの理由で匿名を希望。本記事内で紹介するほかの高官も同様)。シークレットサービスの警護員が大統領の歩く前を走り、四方八方に別れて安全を確認した。屋根の上の狙撃手は、万一の場合に備えて銃を構えた。
「45分くらい散歩した」と、ギブスは言う。「ただ庭をぐるぐる回っていた」。その間、G20の話題も少し出たが、オバマはほとんど何も言わずに歩き、庭園の緑を満喫しているようだった。
オバマにとっては数少ない(制限付きとはいえ)自由な時間だった。2日後にフランスで市民との対話集会に臨んだとき、オバマはこう言っている。「昔はヨーロッパでカフェにふらりと入ってワインを手に通行人を見物したり、店で買い物をしたり、ただ夕日を眺めたりできた。それが今は1日中ホテルに缶詰め状態で、いつも警護員に囲まれている。のんびり散歩ができなくなったことには本当にストレスを感じる」
30秒でも常に車で移動
ホワイトハウス暮らしの束縛に不満を感じた大統領は、オバマが最初ではない。「これほどまでに孤独で寂しく感じるとは思ってもいなかった」と、第28代大統領のウッドロー・ウィルソンは書き記している。「巨大な白い刑務所、その名はホワイトハウス」というのは第33代大統領ハリー・S・トルーマンの言葉。第42代のビル・クリントンは「連邦刑務所の頂点に君臨する建物」とホワイトハウスを呼んだ。
それでもオバマはクリントンや前任者のジョージ・W・ブッシュ以上に、大統領としての生活への適応に苦労しているようだ。大統領就任以前のワシントンでの経験が上院議員の4年間だけと短い彼は、「普通の市民」の暮らしをまだよく覚えている。
性格の問題もある。社交的に見えるが、ほとんど一人っ子のように育ち、独りで過ごすことに慣れている。「孤独を愛する面がある。独りで落ち着いて頭を整理したいらしい」と、ある親しい友人は言う。「そういう時間はもうない」
あまり同情する必要はないという意見も多いだろう(同情してほしいとは思っていないと、オバマ自身も言っている)。ホワイトハウスの住人になるために必死で大統領選を戦ったのは、ほかならぬオバマ自身だ。それに4年後に大統領の任期が終わるとき、あと4年間同じ暮らしを送りたいと訴えることはほぼ間違いない。
ただし、大げさな儀礼のたぐいを望んでいないのは事実らしい。08年11月4日の大統領選の投票日から間もないある日、オバマが政権引き継ぎ準備チームのオフィスを初めて訪ねたときのこと。次期大統領に敬意を表して、スタッフは起立して出迎えた。ある側近によれば、しばらくしてオバマは足を止めて言った。「あのねえ、居心地が悪くてしようがないんだ。私がそばを通るたびにこんなことをする必要はないから」
1月20日の就任式から3カ月余り。オバマはいまだに、自分がどこかに到着するたびに行進曲「星条旗よ永遠なれ」のメロディーを聞くことに慣れていない(あまりうれしく思ってもいない)。
どこへ行くにも事前の計画と厳重な警備が必要なことに、いら立ちを感じてもいる。ある側近によると、3月にカリフォルニアを訪れたとき、大統領専用機を降りてから対話集会の会場まで30秒間、自動車で移動する予定だとオバマは告げられた。「歩いていくわけにいかないのか?」と、オバマは警備責任者に尋ねた。
「大統領閣下、残念ですが」と、警備責任者は答えた。700誡近い距離があるから、というのが理由だった。「歩いて5分くらいじゃないか」とオバマは言ったが、相手は譲らなかった。危険過ぎるというのである。
オバマは言われたとおりリムジンに乗り込んだが、30秒後に車を降りたとき、スタッフに向かって断固とした口調で宣言した。「帰りは歩いて飛行機に戻る」
家族の時間が増えた面も
対話集会が終わると、オバマは警護スタッフや側近、ホワイトハウスの医師など100人ほどを引き連れて、大統領専用機まで歩いて戻った。機内で座席に腰掛けたとき、オバマは少年のように歯を見せて笑った。「最高だ!」
ホワイトハウスの暮らしにはメリットもある。05年にオバマが上院議員に就任して以来、週末を別にすればオバマがワシントン、妻のミシェルと娘のマリアとサーシャがシカゴと、一家は離れ離れで過ごす日が多かった。しかし今はほとんど毎晩、家族全員で夕食を楽しんでいる。
4月半ばのある日、アイオワ州を日帰りで訪ねた後、大統領専用ヘリコプターでホワイトハウスの芝生の上に降りるとき、オバマは窓の外を指さした。「ほら、見てごらんよ」。ホワイトハウスのバルコニーで、ミシェルとマリア、サーシャ、それに「ファーストドッグ」のボーがヘリの着陸を見守っていた。
「(オバマは)とてもうれしそうだった」と、夫妻の親友でもあるバレリー・ジャレット大統領補佐官(内政担当)は言う。「家族がまた一緒に暮らせることを大統領も家族も本当に喜んでいる」
これまでオバマがこだわってきたのは、日常生活のささやかな自由を確保することだった。大統領選の選挙運動を始めて程ない07年4月、身辺の安全を心配する妻と側近たちの願いを聞き入れて、シークレットサービスの警護を付けることに不承不承同意した。このときオバマは、生活習慣をなるべく変えないよう努めた。ミシェルと頻繁にデートに出掛けることもやめようとしなかった。
しかし大統領ともなると、夫婦の夜のデートやちょっとした外出をするにもホワイトハウス内の会議が必要だ。事前に入念に検討して移動ルートを決め、安全を確保しなければならない。「予定外の行動を取れる余地はもうなくなった」と、ジャレットは言う。
いや、そうとは限らないのかもしれない。オバマ一家がホワイトハウスに引っ越してすぐの1月のある日、ワシントンが大雪になった。一家の地元シカゴではこの程度の雪は珍しくないが、ミシェルと娘たちはホワイトハウスの芝で雪遊びをすることにした。
マリアとサーシャはその途中、オバマと側近たちが会議をしていた大統領執務室に立ち寄り、厨房のスタッフが大きなオーブンの天板で作ってくれた急ごしらえのソリを自慢げに父親に見せた。
バイバイと手を振って執務室を出て行く娘たちを見送りながら、オバマはきっぱり言った。「この会議はあと1分で終了とする」
60秒後、オバマは執務室の席を立って、雪の積もったホワイトハウスの芝生に出て行った。
[2009年5月 6日号掲載]