コロナ後、深圳の次にくるメガシティはどこか──「プロトタイプシティ」対談から
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<中国・深圳のイノベーションはなぜ世界を席巻したのか。深圳に代表される「プロトタイプシティ」の成立条件とは何か。デジタル化が発展に与える影響などを論じた伊藤亜聖・山形浩生両氏の対談(『プロトタイプシティ』収録)を抜粋する(後編)>
「まず、手を動かす」が時代を制した――。
このたび刊行された高須正和・高口康太編著の『プロトタイプシティ――深圳と世界的イノベーション』(KADOKAWA)は、そう高らかに宣言する。
同書によれば、計画を立てるよりも先に手を動かして試作品を作る人や企業が勝つ時代になった。先進国か新興国かを問わず、その「プロトタイプ」駆動によるイノベーションを次々と生み出す場を、同書では「プロトタイプシティ」と呼び、その代表格である深圳の成功を多角的に分析している。
ここでは「次のプロトタイプシティ」をテーマに、東京大学社会科学研究所の伊藤亜聖准教授と翻訳家の山形浩生氏が対談した『プロトタイプシティ』の第四章(司会はジャーナリストの高口康太氏)から、一部を抜粋し、2回に分けて掲載する。
デジタル化とイノベーション、新興国と先進国......。さまざまな考察が飛び交った対談から、この後編では「プロトタイプシティ成立の条件」にまつわる議論を抜粋する。新型コロナウイルス禍を経て、深圳の次にくるメガシティはどこなのか。
※抜粋前編「デジタル化は雇用を奪うのか、雇用を生むのか」はこちら。
フラットな世界に高層都市
高口 ここまで、イノベーションの定義とその土壌、ポスト・デジタル化時代における途上国の発展のあり方について議論してきました。続いて考えてみたいのは、深圳に続くプロトタイプシティとはなにか、ポスト深圳はどこの街になるのかという問題です。
第三章で取りあげたように、深圳は東アジアの工業化の終点という歴史的経緯があります。そこから中国内陸部、あるいはベトナムなどの東南アジア諸国連合(ASEAN)に一部の大企業が移転する動きはあったものの、深圳のような集積は生まれていません。深圳は唯一無二の存在であり、次は生まれないという見方もあります。
伊藤 エレクトロニクスにおいては、近い将来、深圳を代替するような産業集積地域が生まれる兆候はまだないでしょう。ただし、山形さんの言葉を借りるならば、いかがわしい人間が集まっては変なことを繰り返して、なにかを生み出す。そうした新興国発イノベーションの震源地は、深圳以外にも現れると考えています。
ただし、どの都市でも経済成長を続けていれば、そのうちにプロトタイプシティになるということはありません。かつてトーマス・フリードマン『フラット化する世界 経済の大転換と人間の未来』(上下巻、伏見威蕃訳、日本経済新聞出版、二〇〇六年)は、ITの飛躍的な発展によって、世界経済は一体化し、どの地域でも同等の条件で競争が可能になると主張しました。二〇〇〇年代にはBOP(ベース・オブ・ピラミッド)、つまり世界人口の過半数を占める新興国、低所得層のマーケットが高成長を見込めるホットスポットだ、というコンセプトが注目されました。
しかしながら、現在から振り返ってみれば、成長する国と市場、成長しない国と市場とにはっきりと分かれています。新興国から新たな価値が生まれるとは、なにもすべての新興国がイノベーションの源泉になるという意味ではなく、一部の条件を備えた地域になるでしょう。
「フラットな世界に高層都市」という言葉が、この状況を生み出すのにぴったりの言葉でしょう。エドワード・グレイザー『都市は人類最高の発明である』(山形浩生訳、NTT出版、二〇一二年)の一節ですが、デジタル技術の発展によって、距離に関係なく様々なリソースにアクセスできるフラットな時代になったものの、その中でもクリエイティブななにかを生み出す場所、高層都市、あるいは摩天楼はごく一部に集中している、という意味です。