デジタル化は雇用を奪うのか、雇用を生むのか──「プロトタイプシティ」対談から
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<時代を制したのは「プロトタイプ」駆動によるイノベーションであり、それを次々に生んでいる場は中国の深圳だ――そう主張し、深圳の成功を多角的に分析した『プロトタイプシティ』から、伊藤亜聖・山形浩生両氏による対談を抜粋する(前編)>
ニューズウィーク日本版で「日本を置き去りにする 作らない製造業」という特集を組んだのは2017年12月。スマートフォンなどで世界を席巻する中国の「ものづくりしないメーカー」を取り上げた同特集の舞台は、2016~17年頃から注目を集め始めた「中国のシリコンバレー」こと深圳だった。
あれ以来、日本から多くの関係者やジャーナリストが深圳に出向いてきたし、実際に多くの日本企業が深圳の企業と取引を行ってきた。しかし、その本質を私たちは今もまだ理解していないのかもしれない。すなわち、深圳はなぜ成功したのか、ということだ。
このたび刊行された高須正和・高口康太編著の『プロトタイプシティ――深圳と世界的イノベーション』(KADOKAWA)によれば、その答えはこうなる。
「まず、手を動かす」が時代を制した――。
同書によれば、綿密な計画を立て、検証して実行するのではなく、先に手を動かして試作品を作る人や企業が勝つ時代になった。先進国か新興国かを問わず、その「プロトタイプ」駆動によるイノベーションを次々と生み出す場を、同書では「プロトタイプシティ」と呼び、その代表格である深圳の成功を多角的に分析している。
具体的には、第一章でメイカームーブメントのエヴァンジェリストとして知られる高須正和氏が、プロトタイプシティの時代が技術という基盤に支えられていることを詳述。第二章では、シリアルアントレプレナーの澤田翔氏が「非連続的価値創造」(本書のキーワードのひとつだ)を生み出す条件を考察している。
続く第三章では、深圳でEMS(電子機器受託製造)企業を経営する藤岡淳一氏と、ジャーナリストの高口康太氏(ニューズウィーク日本版の「作らない製造業」特集の執筆者でもある)が、どのような経緯で深圳が形成されていったかを解説。
第四章では「次のプロトタイプシティ」をテーマに、東京大学社会科学研究所の伊藤亜聖准教授と翻訳家の山形浩生氏が対談し、最終章となる第五章には、「プロトタイプシティ時代の働き方」実践者へのインタビューを収録している。
長らくイノベーションの必要性を叫ばれながら、今も大きく後れを取る日本は、深圳から何を学べるのか。新型コロナウイルスが蔓延した世界で、これからの経済を牽引していくのはどんな企業、どんな都市か。ここでは『プロトタイプシティ』の第四章で展開された対談(司会は高口氏)から一部を抜粋し、2回に分けて掲載する。
※抜粋後編「コロナ後、深圳の次にくるメガシティはどこか」はこちら。
デジタル化は新興国の発展を変えたか否か?
高口 『クリエイティブ資本論』において前提となっているのは、デジタル化を筆頭としたテクノロジーの発展です。新たなテクノロジーがクリエイティブ・クラスという、これまでにない層を生み出したという議論ですが、アメリカをはじめとする先進国の状況を描いた著作です。中国でも類似の状況があったというのは、興味深い指摘です。
関連して気になるのが、デジタル化以前の時代と以後の時代において、新興国の発展パターンに変化は生まれているのでしょうか。