拒食症との戦いは12歳から...元NBAスターの妻の私、人生は完璧なはずだった
“My Life Looked Perfect”
伝説の名選手である夫マイケル・レッドは無条件の愛情で支えてくれた ACHEA REDD
<理想的なイメージの裏で苦しんだ摂食障害や不安、治療のおかげで得た気付きと「仲間」へのメッセージ>
神は乗り越えられる試練しか与えないという。それが本当なら、自分は「闘士」だと言えることをうれしく思う。
42歳の今、私は最も自分らしく、強くて幸せな自分になっている。だが摂食障害、不安や鬱、時に襲いかかる全て終わりにしようという思いを乗り越えていなければ、こうなってはいなかったはずだ。
夫と出会っていなかったら、あの暗闇の日々に、夫が無制限に支え、無条件の愛情を注いでくれていなかったら、私たち家族はどうなったか......。そう考えるとぞっとする。
これまでずっと、私は体重に悩んできた。より具体的に言えば、自分の体重に対する他者の見方に苦しんでいた。家族やその友人に食べすぎていると指摘され、あるべき体重を指導され、子供のときも常に体形を意識していた。
人に好かれようとして言いなりになりがちな性格だったこともあって、周囲にとって自分は太りすぎなのではないかと、いつも心配だった。
そのせいで、痩せるためなら何でもするようになった。食べ物を口にしないことも。拒食症との闘いが始まったのは12歳のときで、大人になっても続いた。回復に向かい始めたのは38歳になってからだ。
不安はほかにもあった。常に完璧でいたくて、人に好かれたかった。それに「失敗」すると激しく落ち込み、自分につらく当たった。
こうした不安は表に出さなかった。従順な牧師の娘、米プロバスケットボールのNBAスター選手でオリンピック米代表にも選ばれた夫を支える妻、幼い2人の子の母親としての役割を見事にこなす女性を演じていた。
はた目には、私の人生は完璧に見えた。人が欲しがるはずのものは何でも手に入った。でも、それは内側で起きていることとは懸け離れていた。
全般性不安障害の診断
現実には、私はほとんどの時間をベッドで過ごしていた。外の世界から身を隠し、どうしても必要なときだけ洞窟から出た。偽の笑顔を張り付け、社交辞令をつぶやき、ベッドに戻る道はないかと探した。
2016年、夫のマイケルに励まされて、私はようやくセラピーを受け始めた。人生で最も苦しい体験の1つだった(2度の出産を経験しているというのに!)。
全般性不安障害と診断されたときは、ほっとすると同時に圧倒された。ずっと感じていたものに突然、名前が付いた。だが、こうなったのは自分のせいではないと理解するには、長い時間がかかった。