「汚部屋そだちの東大生」女性作者の壮絶半生 母親の影響を抜け出すまでの日々
そもそもハミ山さん自身、部屋を片付ける習慣がついていないのだから上手に掃除ができるわけもなかった。
もちろんそのような状況で、清潔に保てるわけがない。ゴミの下には大量の虫が湧いていた。
「今だったら、ゴキブリが1匹いただけで『ギャー!!』って思うんですけど、当時は『ああ、いるなあ』くらいにしか思わなかったです。寝ているときに顔の上をゴキブリが歩いていることもよくありましたけど、それもなんとも思ってなかったです。
大小さまざまなゴキブリが何百匹、何千匹っているとなんだか慣れちゃうんですね。完全に感覚が麻痺していたんだと思います」
『汚部屋』『ゴミ屋敷』はテレビでもよく取り上げられる題材だ。そういう番組を見たら、ハミ山さんも
「自分の家もゴミ屋敷かもしれない?」
と気づいたかもしれない。
しかし部屋にあった大きなブラウン管のテレビは小学生の頃に壊れ、とっくにゴミに埋もれていた。高校時代はインターネットもできなかったので、外部にアクセスする手段はほとんどなかった。
得意な絵を生かして東京藝大へ現役合格
ハミ山さんは小さい頃から絵が得意だった。だから芸術大学に進学しようと思った。
「絵を描くのが好きだったか?と言われると疑問です。比較的得意で、それをやっていると褒められやすい。これをやったら得をするんだな、と考えてやっていたと思います」
そんな軽い気持ちで続けていた美術だが、ハミ山さんは東京藝術大学を受験し現役で合格した。東京藝術大学はかなり倍率が高く、進学するのがとても難しい大学の1つだ。
「すごく嬉しかったですね。大学って自由じゃないですか? そこではじめて自由を知りました。こんなに楽しい時間があるのか!!って毎日が楽しかったです」
ハミ山さんは母親に
「毎日が楽しい!!」
と伝えた。
母親は、喜ばなかった。
「うん、じゃあいつまでやるの?」
と言った。
「まさかいつまでも芸術大学になんかいないよね? 当然やめるよね?」
と強い圧力を、ハミ山さんにかけた。
「東京藝術大学を中退したのは、今でもすごく後悔しています。その頃の私は、もう20歳近い年齢になっているのに自我がまったくなかったんです。
母がそう言うならそうなんだろうな、と疑問にも思わず受け入れていました。考える力を育まれていないから、赤ちゃんみたいに言うことを聞いてしまいました」
半ば強制的に東京藝術大学に休学届を出した。そしてハミ山さんは、いわば仮面浪人の形で東京大学へ進学するための勉強をはじめた。
「『落ちたらどうなっちゃうんだろう?』
という危機感がすごかったです。
『来年は受かろうね?』
って母に言われて延々と受かるまで東京大学を受験させられたらたまらないと思いました」
必死に勉強して翌年受験に挑んだ。
ハミ山さんはなんと東京大学に合格した。東京藝術大学と東京大学のどちらも合格した人というのはまず聞かない。
『汚部屋そだちの東大生』は、東大入学のシーンからはじまる。晴れやかな入学式だが、帰る家は母の待つゴミ屋敷だ。
「私のお祝い事があると母はチョコレートケーキをホールごと買ってきました。私はチョコレートケーキが苦手だったのですが、食べないと『あなたのせいでゴミになった』と私に罪悪感を植え付けながら、ケーキをゴミ箱に捨てました。
東大の入学が決まったときも、もちろんチョコレートケーキをホールごと渡されました。冷蔵庫は壊れていて入れられないので、渋々全部食べました」