「坂バカ」俳優・猪野学「自転車にも人生を変える力がある」
自転車と演技は、双方を支え合う関係に
猪野さんは各地のヒルクライムレースに参戦し続けているが、坂が好きな理由を「そこに坂があるから」と言う。
理由は本当に、「そこに坂があるから」なんです。僕は坂でスイッチが入ってしまう。楽しいんでしょうね、坂を自転車で疾走するのが。ものすごいスピードで登って心拍数が上がってきて、身体が悲鳴を上げるのが好きなんです。ちょっと理解していただけないことが多いですが(笑)。
挑戦することが楽しいから、吐きそうになるまで自分を追い込みます。まだレースで上位10位以内に入ったことがないので、いつか入りたいと思っていて。その「いつか」という可能性を持てるのも、自転車が好きな理由です。
家でもローラー(自転車のタイヤがないエクササイズマシン)での練習を欠かさない。一般にローラーやランニングマシンは景色が変わらないこともあり、飽きてしまうことも多いが、猪野さんは「1時間は余裕でできてしまう」と語る。
ペダリングのことだけを考えて、時計にタオルをかけて見えないようにしています。ロードバイクにはワットというパワーの値があるんですけど、ワット数を上げれば上げるほど、苦しくなってくる。でもずっと続けているとある日突然、苦しくなくなるタイミングが来る。
これまでできなかったことができるようになるのが嬉しいから、毎日フラフラになるまで追い込んでいます。1日休むと取り戻すのに3日かかって、3日休むと20日かかる。だから1日1回は、心拍に刺激を入れないとならない競技なんです。
トレーニング中に雑念が浮かばないかと問うと、「自分を無にすることは苦ではない」と答えた。それは2002~03年にTBS系列で放送されていたドラマ『ピュア・ラブ』で雲水(修行僧)役を演じた際、禅寺で座禅修業した経験が活きているからだと言う。
ちなみにこの『ピュア・ラブ』は、小田茜さん扮する小学校教師の木里子と、猪野さん演じる陽春のピュアでストイックなラブを描いたドラマだ。SNSがない時代ながら、視聴者の奥様方の間で「あのお坊さんは誰?」と猪野さんが大いにバズったこともあり、パート3まで制作されている。
自転車が俳優生活を支えているのと同様に、演技で得た経験が坂バカ人生を支えている。それぞれ、切っても切れない関係に深まっていることがよく分かる。
まず自転車に乗っていれば痩せますし、体調をキープするのが楽。そういう意味では、役者生活に役立っていると思います。自転車で行くと気持ちの切り替えができるというか、仕事が終わってもまっすぐ家に帰るのではなく、一度自転車を挟むことでリセットできる。
あまりにもひどい芝居をしたことで乗れなくなってしまって、「どう演じればよかったのかな......」って、自転車を押しながらとぼとぼ自宅に帰ることもありますけど(笑)。
演技も自転車と同じで、終わりがない世界です。事務所の先輩の西田敏行さんが「芝居は生もので、最初から出来上がったものよりも、危うい部分があるもののほうがいいんだ」っておっしゃるんですが、本当にその通り。演技には間違いもなければ正解もないし、終わりもないと思っています。