【大河「べらぼう」5分解説①】老中・田沼意次を襲った天災と米価の急落

「諸国名所百景 信州浅間山真景」歌川広重画 1859(安政6)年 国立国会図書館蔵
<歴史の教科書では賄賂政治のイメージが強い田沼意次。彼が老中として実験を握った安永〜天明時代は天災に飢饉、米価の暴落など、災難の連続だった。>
大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』4月20日放送の第16回では、渡辺謙演じる田沼意次の知恵袋として長い時間を共にした平賀源内(安田顕)が幕府内の権力争いに巻き込まれ、獄中で命を落とすストーリーが描かれた。
相棒のような源内を失った意次の人間性が浮き彫りになり始め、ますます今後が気になるドラマだが、この記事では、意次が手腕を振るった時代は、実際どのような世相だったのかについて見ていこう。
本記事は書籍『Pen Books 蔦屋重三郎とその時代。』(CEメディアハウス)から抜粋したものです。
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幕府の財政を圧迫した米価の下落
蔦屋重三郎が江戸の版元として活動した、その前半期である安永・天明の頃は、政治の舞台では、老中・田沼意次が実権を握った、いわゆる「田沼時代」である。
商業活性化を積極的に進めた田沼意次の政策は、米に依存した幕府の財政の立て直しとして発案され、功を奏したかに見えた。商業経済の発展と拡充によって、庶民の暮らしや社会風俗にはある種の華やかさが芽生え、錦絵や狂歌などさまざまな文化の流行を見たのである。
意次の父で紀州藩士の田沼意行(おきゆき)は、紀州藩主・徳川吉宗の小姓であった。1716(享保元)年に7代将軍・徳川家継(いえつぐ)が後継もなく早くに亡くなると、吉宗が8代将軍となり、意行も江戸に随行して新参の旗本となった。意次は吉宗の子・家重の小姓となり、父・意行の死後は家督を継いだ。
その後、家重、家治(いえはる)と二代の将軍に仕えた。とりわけ家治の信任が厚く、1772(安永元)年には正式に老中となる。600石の旗本から5万7000石の大名へと異例の大出世を果たしたのである。
意次が仕えた9代・10代将軍以前、8代将軍・吉宗の時代には、享保の改革が推進され、幕府の財政や政治の引き締めが図られていた。当時、江戸や名古屋など都市の発達が著しく、商業が発展したことで、米以外の商品の生産・流通・消費が加速していたのである。これにより米の価格が相対的に低下し、米に依存する幕府の財政を圧迫したのだ。
吉宗はしばしば「米将軍」と称されるが、それはいかに米の価値の下落を押しとどめるかが吉宗の終生の課題だったからである。支出を削り、農業生産を向上させることで、吉宗は赤字財政の打開を図った。
天明期には浅間山の噴火によって、多くの人々が犠牲となった。
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