「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Diaries』論争に欠けている「本当の問題」
DOCUMENTARY FILMMAKERS ARE RUTHLESS
ドキュメンタリストは自由だ。だって自己表現なのだ。規範やルールは一人一人に任せられる。だからこそ人を加害する覚悟をしなくてはならない。
開き直れ、という意味ではない。被害は最小限にしたい。でもドキュメンタリーである限り、ゼロにはできない。加害側に立つ覚悟をすると同時に、後ろめたさや負い目も引きずらなければならない。
例えば映画『A』においては、公安警察官による不当逮捕の瞬間が撮影されている。捜査権力を与えられた公人の違法行為だ。モザイクを付ける理由などない。でも映画が公開されたことで、彼が大きな不利益を受けたことは想像できる。
もしも今、ばったりと彼と出くわしたなら、僕はこそこそと逃げ出すはずだ。でも彼が僕に気付いて追いかけてきて「あのシーンを削除しろ」と迫ったとしたら、「それは絶対にしない」と突っぱねるだろう。
この事例だけではなく、本人の許諾なしに撮った映像を使ったことは、これまでいくらでもある。そもそも往来を撮れば多くの人が映り込む。その全てに許諾を求めることなど不可能だ。
コンプライアンス(法令遵守)やリスクヘッジを最優先に置くのなら、全てにモザイクを付けるべきだ。そんなことはできるはずがない。リスクは承知で全てをさらす。