【大河「べらぼう」】江戸の基礎知識 「錦絵」はアイドルのブロマイド!?
『見立鉢の木』鈴木春信画 18世紀 東京国立博物館蔵 出典:ColBase(http://colbase.nich.go.jp/)
<「浮世絵」の由来から、人気絵師の変遷、当時の「錦絵」の役割について、大河ドラマ「べらぼう」を楽しむにあたり、知っておくと細かな描写がより味わい深くなる知識をお届けする>
大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』1月26日放送の第4回で蔦重が吉原を駆けまわって金策を練り、制作に漕ぎ着けた女郎たちの「錦絵」。「浮世絵」の中でも多色摺りの華やかなものを「錦絵」と呼ぶが、ドラマの中で女郎屋の忘八店主たちが出版を所望した「錦絵」とは、当時実際にはどのような意味を持つものだったのだろうか。
以前の記事大河ドラマ『べらぼう』が10倍面白くなる基礎知識! 江戸の出版の仕組みと書物の人気ジャンルでは、「書物問屋」と「地本問屋」の違いや、浮世絵も含む書物の制作工程についても詳しく解説しているので、合わせて読んでいただけるといいだろう。
本記事は書籍『Pen Books 蔦屋重三郎とその時代。』(CCCメディアハウス)から抜粋したものです。
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憂世から浮世へ、「浮世絵」の誕生
江戸時代に庶民を中心に人気を集めた浮世絵。
「浮世」とは「この世」の意であるが、元来、憂鬱の「憂」の字を当てた「憂世」、つまり「辛い世」を意味してもいた。というのも、江戸時代以前、中世から戦国時代にかけて、多くの戦乱が相次ぎ、多くの庶民にとってこの世とは、辛いことばかりの世界だったのである。
その後、徳川幕藩体制のもと、天下泰平の世となり、社会が安定してくると、「浮き浮きと毎日を暮らしたい」という庶民が明るく暮らしを楽しむ余裕が生まれてきた。その過程で、今現在のこの世界は、「憂世」から「浮世」へと名を変えたのである。こうして現代の風俗を肯定的に捉えた当世風の絵は、「浮世絵」と呼ばれるようになった。
1657(明暦3)年、江戸の約6割が焼失する明暦の大火が起こるが、この未曾有の災害から立ち直る過程で、江戸に復興景気が巻き起こる。その際、江戸でも出版文化が花開き、木版印刷によって印刷物の流通が盛んになっていった。
仮名交じりの娯楽的な読み物「仮名草子」が流行し、そのなかから挿絵入りの仮名草子である「浮世草子」が誕生する。この「浮世草子」の挿絵から、独立して墨摺一枚絵として生まれたのが、「浮世絵」であった。この浮世絵の初期に活躍したのが、有名な菱川師宣であった。
浮世絵の祖・菱川師宣は1682(天和2)年、最初期の浮世草子である絵入本、井原西鶴の『好色一代男』の挿絵を手がけた。ここに浮世絵の歴史が始まる。師宣は「見返り美人図」でも有名な絵師で、その後、肉筆画(版画ではない一点物の絵)・木版画を含めて、さまざまな浮世絵・春画作品を残している。
やがて、複数の色版を重ねて印刷する多色摺りの版画が量産可能となり、錦絵とも呼ばれた。老中・田沼意次による積極財政策によって経済が刺激された時代には、華やかな多色摺りで巧みに演出した鈴木春信らが活躍した。
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