沖縄ではマーガリンを「バター」と呼び、味噌汁はもはや「味噌汁」ではない
そうしたプロセスを経てさまざまな国の影響を受けてきた沖縄の人々に接するのは、ナイチャー(沖縄県外の日本人すべてを指すことが多い)にとって困難であり、違和感を抱えるのも当然なのだ。
もちろん、ウチナーンチュ(沖縄の人)にとってもそれは同じだろう。お互いに、ストレスがたまってしまう関係性だということだ。
沖縄出身である著者自身、大学卒業後に東京の証券会社で働いたのち沖縄に戻ってきたときには、かなりのカルチャーショックを受けたそうだ。仕事の質や進め方、対人関係など、ひとつひとつのことに違和感を抱いたというのである。
沖縄の人ですらそうなのだから、内地の人に心労がたまっても無理はない。しかも、両者ともに自身のバックグラウンドに従って生きてきただけなのだから、どちらかが悪いわけでもない。
だから厄介であるわけだが、そこで本書において著者は、さまざまな疑問の背景にある"沖縄の人の考え方"を解説しているのである。いくつかピックアップしてみることにしよう。
「テーゲー」思考のススメ
沖縄文化を表現することばのひとつとして、著者は「テーゲー」を挙げる。「大概」に由来する方言らしいが、つまりは物事を徹底的に突き詰めて考えず、"ほどほどの加減"で生きていこうという概念である。
だが内地の人間にとってそれは、仕事がいい加減など、ネガティブな印象につながりやすくもあるだろう。
しかし、大城太『最強のうちなーシンキング』では、70点主義者のテーゲーだからストレスが溜まらない、華僑と同様の思考である、独りよがりの完璧を目指して疲れるよりも、スピードを重視して、ある程度の出来の段階で確認を入れて進めるのがネット時代の仕事の仕方と説いている。日本はものづくり国家ゆえか、完璧に仕上げようという意識が強い国民性だと思うが、沖縄のほうが世界感覚に近いのかもしれない。(33ページより)