「人種の壁」を超えたヒーローたち...大谷とジャッジが示した「多様性の理想」
BRIGHT LIGHTS AND FLICKERING TORCHES
今回は大谷のチームメイトでワールドシリーズのMVPに輝いたフレディ・フリーマンなど、ほかにもヒーローがいた。私は大谷とジャッジに同情する。彼らは全ての選手を圧倒しなければ、失敗したと見なされてしまうのだ。一方で、2人の苦闘に私は胸が痛みつつ胸が躍った。今日は誰がヒーローになるのだろう。夜空のあまたの星の中から、次はどんなヒーローが生まれるのだろう、と。
ヒトラーがヨーロッパでユダヤ人の大量虐殺を始めようとしていたとき、私の父は、ユダヤ人の子供にもほかの皆と同じチャンスがあるのだと子供たちを諭した。しかし、それからわずか1年足らずで、アメリカは「自由と民主主義」を守るために第2次大戦に参戦。米政府はアメリカで暮らす日本人と日系人12万人を、アメリカの市民権を持っている人さえ強制収容所に送った。
その1年後の1943年、米海兵隊の士官学校で訓練を受けていた父は、同じ士官候補生とたびたび激しい口論になった。父が、クワンティコの海兵隊兵舎の外で日曜日の朝に新聞を売っていた少年と親しくなったからだ。少年は黒人だった。米南部出身のその候補生は、黒人の、しかも子供を、父が白人と同等の存在として扱ったことに激怒したのだ。
私はボストン・レッドソックスの本拠地であるフェンウェイ・パークに歩いて行ける場所で育った。毎シーズン、おそらく10回はスタジアムに行き、1.5ドルで一般入場券(入場はできるが席はない)を買ったものだ。レッドソックスは、メジャーリーグで黒人選手を採用した最後のチームであり、チームの大ファンでラジオで全試合を聴いていた友人の母親が(当時はテレビ中継はほぼなかった)、三塁手のジョー・フォイが黒人だったために、試合を聴かなくなったのも驚きではなかった。