羽生結弦がいま「能登に伝えたい」思い...被災地支援を続ける羽生が語った、3.11の記憶と震災を生きる意味
Lending a Helping Hand
──羽生さん自身は、震災があって得たものがあるとすれば、それは何だったと考えますか。
やっぱり命についてすごく考えるようになりました。同じ時ってもう二度と来ない、今という時間は本当に一回きりだということを思うようにもなりました。
あとは、自分の責任みたいなものを常に考えながら生きるようになったと思います。
──責任とは?
僕の演技を見るために、その時間を僕にくれた方々に対する責任ですね。適当なものは見せられない、何の命も心も込めてないような時間は過ごせないと思っています。
あとは、震災を生き延びた人間として、この命をどう生きていくかという責任、そういうものは感じています。
──震災による生と死、悲しみや小さな喜びなどいろいろなものを見てきたと思いますが、それが自身の表現に幅を持たせたと感じることはありますか。
結果としては、という感じですね。震災は起きなければいいことなので。でも、起きてしまったからには何かしらの影響はある。悲しみが深ければ深いほど、本当にちょっとしたことに幸せを感じられる。震災の後、僕はずっと幸せだったら感じられないような幸せ、草の芽吹きみたいなものにも喜びを感じられるようになったんですよね。
そして、こうやっていろんな方とお話をしたり、考えを話す機会があるからこそ、感じられる幸せがあるとも思っています。きっとみなさんもそれぞれ、あのことがあったから今こう感じられるということがあるはずです。
──競技者だった頃の幸せと、今の幸せは、違うものでしょうか。
競技時代は利己的というか、自分が出した結果によって感じる幸せがもっともっと強かったです。
プロになった今は、僕の滑りを見に来てくださる方々が求めているのは、僕の演技でどんな体験ができたかとか、どんな表情が見られたかとか、きっとそういうことなんだろうと思っています。
そう考えると、周りのためにやっているというか......。僕がみなさんのために一生懸命費やしてきた時間やエネルギーが、みなさんの笑顔や感情に直結したときがやっぱり一番幸せだなって思えてくる。プロになって余計にこういう性格になりました。
でもそれも、もともと持っている性格なんだとは思います。すごく些細なことかもしれないけれど、子供の頃から僕がうれしいな、幸せだなって思えるのは誰かに褒められたときだったんですよね。
誰かが僕の姿を見て「良かった」って思ってくれることがうれしかった。それがたぶん僕にとっての根源的な幸せで、今はその規模が大きくなっただけなのかなっていう感じはします。