米誌映画担当、今年一番気に入った映画のシーンは『悪は存在しない』のあの20分間
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『悪は存在しない』で父親の巧と2人で暮らす花は、友達と遊ぶより、木々や生き物たちに見守られて森の中を歩き回るほうが好きだ ©2023 NEOPA/FICTIVE
<こんなに面白い市民集会はない......。『ドライブ・マイ・カー』濱口竜介監督の新作『悪は存在しない』は、「普通の人々」の議論を静かなドラマにし、人間の本質を映し出す>
ヘンリック・イプセンの代表作の1つに、『民衆の敵』という戯曲がある。現在ブロードウェイで再上演中で、トニー賞5部門にもノミネートされた。小さな町の医師が、町の財政を支える温泉が製革工場の廃液で汚染されていることを突き止め、地元紙にその事実を掲載しようとする。
しかし、新聞の編集者は、医師の報告によって温泉が閉鎖され、人々が仕事を失い、新聞を買うお金がなくなると気付く。そこで町の有力者と共に市民集会を画策する。人々に単に真実を示すのではなく、真実を「知りたい」かどうか聞いてみようというわけだ。結果は有力者の思惑どおりになる。医師は罵声を浴びせられ、裏切り者の烙印を押され、公の場で攻撃される。
医師を陥れようと画策する人々が、民主主義の重要性を詩的に語る場面がある。社会は船のようなもので、誰もが舵を取るべきだと彼らは主張する。しかし町の外から来た船乗りが、その例えの欠点をこう指摘する。「それでは船はろくに進まない」
理論的には、古代ギリシャでも行われたように市民集会は民主主義の本質だ。だが実際には、よく言っても厄介、悪く言えば非常に不愉快なもの。NIMBY(ニンビー、必要だが迷惑な施設は自宅近くには建てるな)を訴える人や計画中止を求める人々が、自分たちの思いどおりになるまで穏健な意見を罵倒する場といえる。
平穏な町に訪れた危機
時には、特にフィクションの世界では、事実を味方に付けた理性的な1人の意見が皆を圧倒することもある。しかし多くの場合、その1人の声は、怒った町民たちに罵られて床の上で震える善良な医師と同じような結末を迎える。
かくいう筆者もこの数カ月にこうした集会に何度か出席し、不快な思いをしたりあきれ返ったりした。そんな私が今年一番気に入った映画のシーンは、心配顔の住民たちとパワーポイントのプレゼン、ずらりと並ぶ折り畳み椅子の場面であることに、自分でも驚く。
『ドライブ・マイ・カー』でアカデミー賞国際長編映画賞を受賞した濱口竜介監督の新作『悪は存在しない』の一場面だ。
舞台は水挽町(みずびきちょう)という小さな町。近くの森にグランピング場を建設する計画が持ち上がり、町の平穏が崩壊の危機に直面する。グランピング事業に乗り出した東京の芸能事務所プレイモードの社員が、町民に初めて計画書を示す住民説明会で問題が明らかになる。
それから20分間、ほぼ途切れることなく、町民と企業側が浄化槽からの汚水の流出という細かなことについてひたすら意見を交わす。それが圧倒的に面白いのだ。