米誌映画担当、今年一番気に入った映画のシーンは『悪は存在しない』のあの20分間
Power of Public Forums
私たちが見慣れている騒々しい市民集会と違って、この映画の住民説明会はけんか腰の姿勢はほぼ皆無だ。
とはいっても対立がないわけではない。プレイモードの社員2人が計画を示すと、住民たちは質問を浴びせる。特に彼らが気にするのは下水の処理だ。キャンプ場の処理施設では収容人員の出す排泄物を処理し切れない。会社側は年間にならせば定員の半分程度しか客は来ないと説明するが、住民は納得しない。
あふれた排泄物は水源を汚染するだろうと、住民は言う。映画のほかのシーンで映し出される息をのむほど澄んだ湖や川が汚濁するのだ。
町のうどん店の店主は水質の良さに引かれて東京から移住し、おいしいうどんを提供している。水質が悪化すれば、商売上がったりだ。
反対理由はほかにもある。都会から来たキャンパーが火の始末を怠れば山火事が起きかねない。会社側は夜間の見回りを想定していないからなおさら危険だ。一帯の森に生息するシカの移動ルートが断ち切られるという問題もある。
観客を信頼した描き方
とはいえ説明会で何度も蒸し返されるのは水質汚染の問題だ。プレイモードの2人は困惑する。会社側は水が問題になることを想定していなかった。住民の話は驚くほど詳細にわたるだけでない。話を聞くうちに、2人には住民側に理があるように思えてくる。
『悪は存在しない』というタイトルはちょっと重すぎる感じがするかもしれない。道徳的観点からは言うまでもなく、人間は白か黒かの2つに分けられるような存在ではない。人々は本能と何らかの強い動機付けによって行動する。
プレイモードの社員2人は悪人ではない。住民たちも彼らを悪人扱いしない。冷静に粘り強く疑問を呈するだけで、声を荒らげることもまずない。
住民たちはしっかりとした考えを持っているが、表現の仕方は控えめだ。だからこそ、観客は熱い思いで説明会の進行を見守るのだ。濱口監督は観客を信頼している。見せ場を作ったり無知な都会人を悪人に仕立てなくとも、事の重大さはちゃんと伝わる、と。