「真のモンスター」は殺人AI人形ではなかった...ホラー映画『M3GAN/ミーガン』が見せたものとは?
Who's the Real Monster?
「その場しのぎ」が役目
だが子供をあらゆるつらい出来事から守るのは不可能だし、望ましくもない。子供が事故に遭ったりいじめられたりするのは論外だが、時には干渉せずに「当然の結果」を理解させるのも大切だ。
何度止めても熱い鍋に触りたがる子供も、一度触れば懲りるだろう。愛犬は農場に引き取られて幸せにしていると言ってペットの死をごまかせば、「命あるものはいつか死ぬ」「たとえつらいことでも親は真実を話す」という2つの貴重な教訓を授ける機会を逃してしまう。
ロボットのミーガンに、その視点はない。そもそもミーガンは、解雇を恐れたジェマが慌ててケイディを巻き込み実地試験を開始した試作品で、完成には程遠い。
カウンセラーがケイディを喪失の悲しみと向き合わせようとすれば、ミーガンは少女が泣いたことだけに目を留め、カウンセラーに対して怒りを抱く。そして、そうしたミーガンの在り方がやがて惨劇を引き起こす。
ミーガンの役目は本当の意味での癒やしではなく、ケイディの気持ちを悲しみからそらすこと。ジェマが言うように、「ミーガンは何も解決してくれない。その場しのぎの気晴らしでしかない」のだ。
知識と知恵の違いを象徴
AIに倫理的な指導をしないまま学習能力を与え、ほかの命を全て犠牲にしてでも特定の対象を守れと命じたら? そんなテーマを追う『ミーガン』はAIの脅威に警鐘を鳴らすホラーに見えるが、話はもっと単純だ。
ミーガンは人並み外れた頭脳を持つスーパーロボットではない。ジェマの同僚のプログラマーが指摘するように、その返答はもっともらしい言葉の寄せ集めにすぎない。
ミーガンは子守歌が子供を落ち着かせることは知っているが、泣いている8歳の少女を慰めようとして、事もあろうに歌手シーアが激しくシャウトする曲「タイタニアム」を不気味なほど静かに歌いだす(「私を撃ちなさい/撃たれても私は倒れない。チタンみたいに強いから」)。
いわばミーガンは情報と知識、知識と知恵の違いの象徴なのだ。しかし本当の問題は機械ではなく、機械を使う人間にある。この映画の真のモンスターはケイディだろう。