ガルシア=マルケスの発明「詩的歴史」と後継者たち──ゴールデンウィークに読破したい、「心に効く」名文学(3)
「革命を再発見する」発明を自分が利用するには
ガブリエル・ガルシア=マルケスが登場するはるか以前から、読み手に新たな世界を想像させる作家はいた。紀元前360年にはプラトンが、神話的なアトランティスの地を描写した。
421年には隠遁生活を送っていた中国の田園詩人、陶淵明が『桃花源記』のなかで失われた理想郷を描いた。
1888年にはアメリカ・マサチューセッツ州の記者エドワード・ベラミーが、小説『顧りみれば』[邦訳は山本政喜、岩波書店、1953年]で空想的な未来世界を生み出し、ユートピア的SFが流行するきっかけをつくった。
だがこれらの作品やその後継作は、ある一点において『百年の孤独』とは決定的に異なる。これらの作品は、過去を再発見するよう読み手を促すことはない。むしろ過去を排除するよう促す。
ときには、あからさまに過去が排除される。地震や疫病の流行、核戦争などの大惨事が起き、既存の世界が滅び去る。またときには、暗黙の内に過去が排除される。
未来のいつか、誰も知らないどこかで物語が展開され、そこでは既存の世界の痕跡がまったくない新たなコミュニティが開花している。
いずれにせよ、これらの作品の作家は、マルケタリア独立共和国と同じ過激な設計図を採用している。過去の社会秩序を一掃し、一からこの世界を再起動しようとしている。
一方、ガブリエル・ガルシア=マルケスのイノベーションは、過去を引き連れていく。
『百年の孤独』では、ホセ・マリア・メロ将軍による1854年のクーデターから、グスタボ・ロハス・ピニージャ将軍による1953年のクーデターまで、およそ1世紀にわたるコロンビアの歴史を詩的に語り直す。
こうして読み手にその歴史を再学習させることによって、アトランティスからマルケタリアまで、ユートピアを運命づけてきた悲劇の連鎖を断ち切ろうとしている。この発明は、既存の根に緑の新枝を継ぎ、有機的に未来を再生する。
『百年の孤独』が発表されてから数十年の間に、マルケスの発明そのものも再発見された。
その成果が、トニ・モリスンの『ビラヴド』[邦訳は吉田廸子、早川書房、2009年]や村上春樹の『羊をめぐる冒険』[講談社、2004年]、ラウラ・エスキヴェルの『赤い薔薇ソースの伝説』[邦訳は西村英一郎、世界文化社、1993年]などの小説、あるいは、ギレルモ・デル・トロ監督の『パンズ・ラビリンス』、アルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA/ローマ』などの映画である。
過去の過ちを繰り返すだけの生活に陥っていると思う人は、これらの小説や映画を通じて心に詩的歴史を注ぎ込んでみてほしい。
自分が知っている過去を百度再考する。その繰り返しのなかで新たな革命を紡ぎ出すのだ。
『文學の実効 精神に奇跡をもたらす25の発明』
アンガス・フレッチャー [著]
山田美明[訳]
CCCメディアハウス[刊]
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)