ドキュメンタリー映画『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』にひどく失望...マニアには物足りないし、若いファンには混乱の元
Making a Mess of a Goldmine
ボウイは情報をこよなく愛し、知性を重んじた。
「レッツ・ダンス」が大ヒットした80年代中盤はそうした姿勢が揺らいだが、当時の彼は薬物依存から回復したばかりでカネもレコード契約もなく、過去のアイデアは後進が使い古していた(こうしたことを本作は一切教えない)。そこで王道のポップス路線に挑戦しようと考えたのだ。
映画の中でボウイは80年代を「人生の空白期」と表現するが、この発言の扱い方は誤解を招く。当時の複数のアルバムについて、確かにボウイは後悔を口にした。だがナイル・ロジャースと共同プロデュースした名盤『レッツ・ダンス』を否定したことは、一度もなかった。
モーゲンはこのくだりを、まるでボウイを彼自身の作品で攻撃するかのように72年の「ロックン・ロールの自殺者」に乗せて描く。さらにはスクリーンに、けばけばしいモンスターや悪霊を跋扈させる。
遺作も死の衝撃もスルー
編集もいただけない。映像はクロスフェードし重なり合って混濁し、流砂のように流れていく。
レアなライブ映像や別テイクの音源やドキュメンタリーなど、素材はいい。だが全部一緒くたにされて特殊効果をかけられ2時間15分のミュージックビデオに仕立てられたら、どんな素材も力を失う。
パーソナルな場面は貴重だ。ロンドン郊外で過ごした幼少期についてボウイは「感情と精神を切り刻まれた」と述懐し、後の作品を貫く孤立感と孤独をうかがわせる。
イマンと結婚して安らぎを得たことも、たびたび語る。しかし妻との関係を垣間見せる映像はなく、代わりに映画『地球に落ちて来た男』や『戦場のメリークリスマス』の出演シーンが実生活であるかのように挿入される。
私が一番期待したのはホームムービーではなく、創作の記録だ。けれどもモーゲンは音楽作りのプロセスにも関心がないらしい。
ブライアン・イーノとのコラボレーションにさらりと触れるだけで、ほかの協力者は取り上げない。レコーディングやリハーサルの風景も見せない。本作の音楽プロデューサーを務めた盟友トニー・ビスコンティとの交流にも、ほとんど焦点を当てない。
あれだけ80年代のボウイを冷遇したわりに、創造性が再び開花した90年代の活動はなぜか素通りする。遺作『★(ブラックスター)』の舞台裏も、その発表から2日後、16年1月10日に訪れた死の衝撃も掘り下げない。
フィンセント・ファン・ゴッホやグスタフ・クリムトの絵画を引き伸ばして映像化する今どきの「没入型ミュージアム」に行っても、芸術の神髄は分からない。この手のショーは絵画ではなくポスター、美術館ではなくミュージアムショップなのだから。
同様に、この映画を見てもボウイは理解できない。
マニアには物足りないし、若いファンには混乱の元。『ムーンエイジ』はボウイにふさわしいドキュメンタリーでも、未来に伝えたい作品でもない。
Moonage Daydream
『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』
監督/ブレット・モーゲン
出演/デヴィッド・ボウイ
日本公開は3月24日