「不快だけど目が離せない」──サイレント映画業界を描く『バビロン』がちょっと残念な理由
An Elephant of a Movie
さらに、人種差別の壁にぶつかる黒人のトランペット奏者(ジョバン・アデポ)、中国系の男装のキャバレー歌手(リー・ジュン・リー)、ハリウッドの住人が繰り広げる派手なドラマを、ナレーター役としてつづるゴシップコラムニスト(ジーン・スマート)など、さまざまな人物の物語が短いながら挟み込まれる。
10話分のドラマをつくれるほどのプロットと登場人物だが、テレビシリーズの短縮版のようだと感じさせない点は素晴らしい。むしろ、本作は映画的すぎるほど映画的だ。
精巧で入り組んだ長回しの冒頭シーンは、明らかに衰退するポルノ業界の狂乱を描いたポール・トーマス・アンダーソン監督の『ブギーナイツ』にオマージュをささげている。スターへの階段を駆け上がるネリーと、撮影用カメラを借り出そうと奮闘するマニーを並行して追い掛ける場面は、名人芸だ。
チャゼルの視覚的な想像力や映画史への情熱は、観客の目を奪い続ける。だが筆者としては、これほど驚嘆の連続でないほうがよかった。
テンポが落ち着き、登場人物を観察する機会を待ち続けたが、ギアは最後までトップのまま。クライマックスに次ぐクライマックスで、主役級の人物でも、既に紹介した以上のことはほとんど描写されない。
何よりもったいないのが、ネリーだ。オリンピック代表選手級の演技もできるロビーなのに、なぜ薬物使用の危険を説く教育ドラマから抜け出てきたような役柄に?
ネリーがコカインとギャンブルに依存していることは早々に描かれるが、物語の都合上必要になるまで、そうした負の側面は「バッドガール」を象徴するアイテム扱いだ。
ネリーのファッションでさえ、場違い感が激しい。本作について、時代考証にこだわる堅苦しさを意図的に避けたと、チャゼルは語っている。せりふに21世紀のスラング表現を用いるなど、現代的要素をちりばめる選択は、時に爽快なほど大胆だ。
だが、ネリーの衣装は......。冒頭の『グレート・ギャツビー』風のパーティーでは、劇場の緞帳かと思うような赤い布をまとい、首からおへそまで丸見えだ。