発達障害の診断を受けた僕が、「わかってもらう」よりも大切にしたこと
一方的に理解を求めるのではなく、すり合わせることが重要だと気付く(写真はイメージです) AsiaVision-iStock
<発達障害の診断を受け、ASDの「相手の立場に立って考えるのが苦手」という特性で妻を苦しめていたことを自覚。立ち向かうべき問題が明確になったことで、夫婦関係は表情を変え始める──『僕は死なない子育てをする 発達障害と家族の物語』より一部抜粋>
近年、ADHD(注意欠陥・多動性障害)やASD(自閉スペクトラム症)をはじめとする発達障害は日本でも広く知られるようになった。著名人の公表などで認知が進み、大人になって診断を受ける当事者も少なくない。教育現場や職場によっては支援が進みつつあるものの、今なお困難な社会生活を送っている当事者は多い。
人の気持ちがわからない。空気が読めない。要領が悪い。片付けられない。衝動的に行動してしまう──これら発達障害の困りごとは周囲から誤解されやすく、当事者は「他の人が当たり前にこなしていることが、どうして自分にはできないのか」という問いかけを自分に向けることで心身ともに疲弊していく。
7月に『僕は死なない子育てをする 発達障害と家族の物語』(創元社)を上梓したライターの遠藤光太氏は、鬱病と休職を繰り返し、夫婦関係も破綻寸前だった社会人4年目にしてADHDとASDの診断を受けた。
遠藤氏は、本書で「発達障害の特性があるにもかかわらずそれらを押し殺し、過剰適応するくせがついていたこと」が生きづらさの核心だったと語る。また、「相手の立場に立って考えるのが苦手」というASDの特性が妻を苦しめていたことを自覚する。
ここでは、診断を転機に自己理解を深める著者が、家族との関係性を修復していく第9章「家族と発達障害」を2回に分けて抜粋する。今回は、その前半を掲載。
「やっぱデータのほうがいいよね?」 と妻が急に言う。
話がよくわからない。これは、娘の七五三の写真の話だった。妻としては、前日からの流れで話が続いているのだろうが、僕は文脈を摑みづらい。このあたりのズレは以前からあり、喧嘩になっていた。
発達障害がわかったことにより、夫婦関係は表情を変えた。
発達障害を自覚するまでも自分なりにさまざまな努力をしていたが、それらはことごとく空を切り、やるせなさでいっぱいになった。具体的な障害を自覚してからも問題はたくさんあるが、少なくとも立ち向かうべき特性が明確になった。ようやく、焦点が合い始めた。互いに距離を詰めて、すり合わせることが重要なのだとわかり、冷静になれた。
例えば何かに集中しているとき、妻から言われたことに「わかった」と答えているにもかかわらず、わかっていないことがあった。聴覚情報だけだと認識が抜け落ちやすい特性がかかわっているようだった。
こうした問題は、声で伝えるのではなく、LINEで送ってもらうようにするだけで解決できる。
発達障害がすれ違いを積み上げる
そもそも僕は、妊娠発覚から出産までの間ですでに調和を崩していた。体重が一〇kg以上も増えていた。周囲からは、「幸せ太りだね」と言われていた。ただでさえアンバランスな発達である上に、「父親になる」と意識するあまり、力んで仕事をしていたため、深夜まで目いっぱいの残業をして不規則な食事を摂ったり、運動をする時間を失ったりしていた。