発達障害の診断を受けた僕が、「わかってもらう」よりも大切にしたこと
余裕がなくなってくると、発達障害の特性も悪い方向に表れやすくなった。
妻が妊娠中のある夜、互いの仕事から帰る時間が合ったので、待ち合わせをして一緒に帰宅することにした。僕の帰りに、妻が時間を合わせてくれた。疲れていた僕はビールを買い、道路で歩いて飲み始めてしまっていた。
ゴクッとひと飲みして、ふと振り向くと、妻は静かに泣いていた。妊娠前には、お互いに一日の仕事が終わると一緒にお酒を飲むこともあったが、当然ながら妊婦はアルコール飲料を飲みたくても飲めない。身体の変化や不調があるなかで仕事をする疲労や、僕の配慮の無さへの悲しさがあいまって、涙が出たのだろう。相手の立場に立って考えるのが苦手な、僕のASDの特性の表れだったのかもしれない。
他にもすれ違いはあった。同僚の家に遊びに行く妻に、夕飯を食べてから帰ってくるか聞いたら、「食べない場合だけ連絡する」と言われた。僕はあいまいな情報が苦手で、困った。「どっちにしても連絡して」と伝えると、妻は不機嫌そうに見えた。本当に些細なことだが、すれ違いが積み重なった。
夫婦が合意形成する技術
自分が発達障害に気づいてから障害を妻に伝えるまで、長く間を開けた。その長さは、家族を幸せにできるイメージが湧くまでの慎重を期した時間だった。
発達障害のある夫との暮らしを扱った本では、夫婦で別居を始めてから「お母さん最近怒らなくなったね」と子どもに言われる描写を読んだ。別居合意書の草稿まで作っていた僕は、「確かに穏やかになることもあるだろう」と妙に納得していた。
一方で、自分自身が発達障害を受容することは、夫婦の修復につながるかもしれないとも感じ始めていた。
テレビを見て衝撃を受けてから約三か月後、焼肉を食べた帰り道で妻に「発達障害の傾向があるみたい」と一言。そして、本に付箋をつけて渡し、以後は「説明」を最低限にとどめた。休職や退職、救急車で運ばれる、伝えた話が伝わっていないなどの問題を妻には被(かぶ)らせてばかりだったから、「(発達障害という)また新しい問題がきた」と思わせたくなかった。「発達障害だから、こうすれば家庭がマシになる」と前向きな話題として伝えることを心がけた。そして、夫婦の「関係」に目を向けていくことに決めた。