カニエ・ウェスト「人に見られたくない」ドキュメンタリーが描く、彼の人間臭さ
All Too Human
第3幕は特に話題を呼ぶだろう。想像を絶する名声の高みへと昇るウェストはクーディと疎遠になり、2人の仲はぎくしゃくする。
ウェストがふたたびクーディを仲間に入れ、自由に撮影することを許可したのは17年。カメラはツアー中のウェストやアパレルブランドの経営に取り組むウェストだけでなく、双極性障害の症状に繰り返し苦しむ姿まであらわにする。
こうしたシーンは見るに堪えない。視聴者によってはショッキング、あるいは搾取的と感じるかもしれない(ウェストが『ジーニアス』に不満を抱く理由もこれだろう)。
支離滅裂な言葉を発するウェストなど、カメラが捉える光景にクーディが耐えられなくなり撮影を止める場面も1度ではない。
それでも精神疾患のエピソードが盛り込まれた理由は、少なくとも2つ考えられる。
1つに『ジーニアス』はクーディの物語でもある。本人もナレーションで認めているとおり、クーディのキャリアはウェストとの関係に多くを負ってきた。
それぞれが父親になり、親を亡くし、疎遠になっても、絆は切れなかった。ウェストの病が2人の関係において重要な出来事であったのは疑いようがなく、それを作品に収めたのはクーディの誠意だ。
音楽の神として君臨した12年間
第2に赤裸々な映像を見れば、メディアと世間がウェストの心の病をどう扱ってきたかを考えざるを得ない。
ドキュメンタリーには無神経なジョークを口にするトーク番組の司会者や、明らかな精神疾患を売名行為や天罰と嘲る人々の映像も織り込まれる。そうした人間の圧倒的多数が白人なのだから、心穏やかではいられない。
近年私たちは精神疾患を、より思いやりを持って語るようになった。だが思いやりを向ける対象は、今も限られているらしい。
『ジーニアス』の最大の功績は、良かれ悪しかれ人間らしく見られることを拒否してきたウェストに人間味を与えたことだろう。
ウェストが21世紀の音楽に与えた影響に議論の余地はない。16年の『ザ・ライフ・オブ・パブロ』以来、傑作と呼べるアルバムは作っておらず、この先作るかどうかも分からない。だがそれまで12年の間、彼は地球上でおそらく最も高く評価され、文化的に重要なミュージシャンであり続けた。
これほど息の長い成功は稀有。筆者が生きているあいだに同等のミュージシャンが現れるとは思えない。
「私は神だ」と、かつてウェストはラップで豪語した。だが『ジーニアス』はその偉業が神ではなく人間によるものだということを、改めて印象付ける。
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