最新記事

映画

チェチェン・ロシアの同性愛弾圧を告発するためにディープフェイクを使うのは許されるか

2022年2月16日(水)12時00分
林毅
ロシア

『チェチェンへようこそ』は知られざるロシア同性愛弾圧の闇をえぐるドキュメンタリー映画だ MadeGood Films提供

<チェチェン同性愛者弾圧を告発する映画が問いかけるもの――ドキュメンタリーと報道を分けるディープフェイク「演出」の是非>

2月26日から日本で公開予定のドキュメンタリー映画『チェチェンへようこそ― ゲイの粛清―』は、国際社会と切り離されたロシア連邦内のチェチェン共和国、ラムザン・カディロフ政権下で起こっている過酷な同性愛者弾圧の現状を伝える作品だ。

本作品では証言者を保護するために、ドキュメンタリーとしてはじめてAI技術で顔情報を別人のものに書き換えるいわゆる「ディープフェイク(制作側では「フェイスダブル」と表記)」技術が採用されている。後半、ひとりの勇気ある証言者の告発記者会見での発言中、顔が次第に本人のものに変化していく演出がある。だが、もしこのシーンがなければ冒頭の「迫害により避難している人々の安全のためデジタル加工により本人たちの顔は隠されている」という注意書きを見てさえ、そこまでの登場人物の顔がいずれも本人のものではないとは意識しなかったかもしれない。

ディープフェイクはポルノや著名人への中傷などに使われることが多く、比較的廉価に実施できるようになってもいいイメージを持たれてこなかった。一方、映像作品や報道といった分野で一般的なモザイクやボイスチェンジャーは、たとえプライバシー保護の目的であっても本来視聴者に最も訴えかけるはずの表情や声を変質させ、非人間化してしまうという課題をずっと抱えていた。「人間としての表情」の存在がどれだけ見る側に訴えかけるのかは、この作品を観ればよくわかるはずだ。

ではディープフェイクは今後普遍的な表現手法として定着していくのだろうか? 話はそう簡単ではないかもしれない。誰かの顔情報を使っている(=完全な創作ではない)とはいえ、ディープフェイクは映像加工の技術のひとつだ。実在の人物が登場するニュース報道においては、虚構との境界線を曖昧にする技術は視聴者を混乱させかねず、採用されることは難しいだろう。

hayashi-web-doubleface220215.jpg

映画では同性愛者を守るためにディープフェイク(ダブルフェイス)技術が使われている MadeGood Films提供


だがあくまで監督の視点で描く「作品」であるドキュメンタリーであれば、本作のように場合によっては許容されるかもしれない。実際にチェチェンを脱出した反体制派が国外で危害を加えられるような事態も発生しており、証言者が被り得る不利益を考えれば保護の必要性は高いからだ。しかしどんな場合でも絶対認めないという人もいるだろうことは想像に難くない。

本作のエグゼクティブプロデューサーであるジャスティン・ミキータは「この作品を通して各国政府の関心を集め、カディロフの蛮行を止めたい」と、ヴァラエティ誌の取材に語る。そうした強い意図の一方で、チェチェンが同性愛への拒否感が強いイスラム教信徒が多い国であるという背景は語られていない(逆に冒頭で「世俗国家であるはずの国で...」と述べられているなど、チェチェンというよりはロシア連邦の問題として描かれているようにも感じた)。つまり、これはあくまで濃淡をつけられた「作品」である。そのことは忘れてはならない。とはいえ、制作陣・出演者が高い危険を冒して撮った映像の価値が損われるものではない。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

フィンランドも対人地雷禁止条約離脱へ、ロシアの脅威

ワールド

米USTR、インドの貿易障壁に懸念 輸入要件「煩雑

ワールド

米議会上院の調査小委員会、メタの中国市場参入問題を

ワールド

米関税措置、WTO協定との整合性に懸念=外務省幹部
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 6
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 7
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 8
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 9
    【クイズ】2025年に最も多くのお金を失った「億万長…
  • 10
    トランプが再定義するアメリカの役割...米中ロ「三極…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 3
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥーが解明される...「現代技術では不可能」
  • 4
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 7
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中