きざなイケメン俳優が、「一流」になるために必要だった「屈辱」
No More Mr. Nice Guy
ほかにもレイノルズが声だけ出演してヒットした作品には、『クルードさんちのはじめての冒険』や『名探偵ピカチュウ』がある。それでも全ての作品で、その端正な顔を隠すことはできない。だが顔を出すときには、彼は自分を人間サンドバッグにして「埋め合わせ」をしてきた。
17年にヒットし、今年6月に続編が公開された『ヒットマンズ・ボディガード』シリーズや、ネットフリックスで11月に配信開始された『レッド・ノーティス』で、彼は巨万の富で得られるあらゆる快楽を享受する、うぬぼれの強い男を演じている。
『レッド・ノーティス』の役柄は、自称「世界で2番目に重要な指名手配宝石強盗犯」。「最重要」でないところが反感よりも共感を誘う。今夏のヒット作『フリー・ガイ』で演じたビデオゲームの世界に生きるキャラクターも、完璧な作り物感を漂わせながら、殴られたときの傷が恐ろしくリアルというジョークあふれる設定だ。
こうしてスクリーン上で進んで恥をかこうというレイノルズの気概は、虚栄心の欠如というよりも意図的な戦略に思える。レイノルズが「鼻をへし折られるところ」を私たちが見たがっているのを、彼はよく分かっている。
戦略としての「屈辱」
同じような戦略を使ったのがキャサリン・ヘプバーンだった。1930年代、彼女のキャリアは困難に直面した。作品の中で演じる強くて自立した女性像が、一部の観客に「傲慢」と映ったためだ。
彼女が復活したきっかけは『フィラデルフィア物語』。ここでも強くて自立した女性を演じたが、相手役はさらに強い男性。その相手役がヘプバーンの頭をつかみ、地面に押し付ける場面もあった。
こうした「形式的な屈辱」はその後、彼女の作品の一部になった。現代なら醜く残酷にも思える演出が、当時はある意味、全ての人が得をするものだった。強くて頭の切れるヘプバーンを見たい観客は、それがかなった。一方で、彼女がやり込められるところを見たい観客にも、そうした場面が用意されていた。
だが最も得をしたのは、ヘプバーン本人だろう。彼女はその後、キャリア最大のヒット作のいくつかに恵まれることになった。
ヘプバーンのように「興行の足を引っ張る俳優」と言われたことはなかったが、レイノルズもまた彼女と同じような戦略に出たのだ。彼は小犬のような必死さを、自分にとって不利ではなく有利に作用するよう仕向けた。