この時代に再評価される幻の音楽フェス、半世紀前の熱狂がよみがえる
An Ode to Black Music
映画では、観客の証言が胸を打つ。69年当時に多感な年頃だった人々が、人生を揺さぶった音楽体験を感慨深そうに振り返るのだ。
だが一番の目玉はやはり音楽で、ジャンルはポップス(デービッド・ラフィン、グラディス・ナイト&ザ・ピップス)、ブルース(B・B・キング)、ジャズ(マックス・ローチ、アビー・リンカーン)にラテン(モンゴ・サンタマリア)と実に多彩。ハーレム在住のシニア層にすれば、フィフス・ディメンションのようなロックグループとファンの群れに日曜の静けさを乱されるのは迷惑だったろう。演目にゴスペルを盛り込んだのは、お年寄りへの「和平工作」かもしれない。
スターぞろいのステージは、もちろん見応えたっぷりだ。
2世代のゴスペルの女王マヘリア・ジャクソンとメービス・ステイプルズが、マーチン・ルーサー・キングの愛した「プレシャス・ロード」で競演。19歳のスティービー・ワンダーがクラビネットで熱いソロを聞かせる「シュ・ビ・ドゥ・ビ・ドゥ・ダ・デイ」は、70年代に迎える黄金期のサウンドを予感させる。
音楽フェスの不都合な真実
60年代の代名詞とされる有名フェスには、不都合な真実がある。出演者のラインアップも企画の在り方も、圧倒的に白人寄りだったのだ。
平等なユートピアというイメージのウッドストックだが、ビルボードのR&Bチャートをにぎわせていた出演者はスライ&ザ・ファミリー・ストーンのみ。会場は辺ぴな場所にあり、都会の黒人にはアクセスが悪かった。
この排他性がどこまで意図したものかは議論が分かれる。だがウッドストックが想定した「音楽を愛するヒッピー」は白人で、映画の視点もそんな見方を反映していた。プロの撮影班によるハーレムのフェスの映像がお蔵入りになった背景にも、この偏りがあるのだろう。フェスは「黒いウッドストック」と呼ばれてきたが、この表現は誤解を招く。だいたいこちらの初日は6月29日で、ウッドストックより1カ月半も早い。
だが当時の制作者は映像を「黒いウッドストック」として売り込んだ。買い手が付かなかった理由はさまざまだろう。1つにハリウッドでは長年、「黒人映画」は集客数が読めないと信じられていた。音楽祭は白人のものという考え方も定着しつつあった。
黒人の聴衆に焦点を当てた点でも『サマー・オブ・ソウル』の功績は大きい(ステージにも客席にも白人はいるが、見るからに少数派だ)。
黒人アーティストのライブ映像自体は珍しくない。この映画が特別なのは、黒人の音楽ファンとその喜びに賛歌をささげたからだ。こうした題材は60年代神話においても音楽史においても記録からこぼれ、置き去りにされてきた。
観客とアーティストが一体となって音楽を分かち合う喜びは、なんと普遍的でかけがえのないものなのか。そんなことをしみじみ感じさせてくれるのも、『サマー・オブ・ソウル』の素晴らしさだ。
SUMMER OF SOUL
『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』
監督/アミール・“クエストラブ”・トンプソン
主演╱スティービー・ワンダー、B・B・キング
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