不仲だった兄を亡くした。突然の病死だった──複雑な感情を整理していく5日間
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<分かり合えなくても、憎みきることはできない。どこにでもいるそんな肉親の人生を終(しま)う意味を問う、エッセイスト/翻訳家、村井理子氏の物語(前編)>
親兄弟などの肉親との関係は時に難しい。
分かり合えなくても、こじれても、嫌いになりきれない。かつてのいい思い出が、今の不仲に対する罪悪感を駆り立てる。どんなに迷惑をかけられても、完全に見離すことができない。他人とは違うから。
こうしたジレンマを抱えている人は意外と多い。
エッセイストとしても活躍する翻訳家の村井理子氏は、長年、不仲だった兄を亡くした。突然の病死だった。両親は既に鬼籍に入っている。
7年前に離婚していた兄にとっては、村井氏がいちばん近い血縁者ということになる。当然ながら、弔い、役所での手続き、住処の始末など、数多の作業とそれらにまつわる物理的・金銭的な負担が村井氏にのしかかることとなった。
いつかこんな日が来るのは分かっていた。しかし、実際にその日がやってきたとき、こじれた肉親との関係をどのように終えばよいのか。
近刊の書き下ろしエッセイ『兄の終い』(CCCメディアハウス)には、村井氏と兄の元妻が協力し合って兄を弔い、その身辺を片付けていく5日間の奮闘が描かれる。怒り、泣き、ときには少し笑ったりしながら、ずっと抱き続けてきた複雑な感情を整理していく。
ここでは2回に分けて、その冒頭を抜粋し掲載する。
プロローグ 二〇一九年十月三十日水曜日
「夜分遅く大変申しわけありませんが、村井さんの携帯電話でしょうか?」と、まったく覚えのない、若い男性の声が聞こえてきた。戸惑いながらそうだと答えると、声の主は軽く咳払いをして呼吸を整え、ゆっくりと、そして静かに、「わたくし、宮城県警塩釜警察署刑事第一課の山下と申します。実は、お兄様のご遺体が本日午後、多賀城市内にて発見されました。今から少しお話をさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」と言った。
仕事を終え、そろそろ寝ようと考えていたところだった。
滅多に鳴らないiPhoneが鳴り、着信を知らせていた。滅多に鳴らないうえに、そのときすでに二十三時を回っていて、着信番号は〇二二からはじまるものだった。
〇二二? まったく覚えがない。こんな時間に連絡があるなんてよっぽどの用事だろう。わかってはいたものの、部屋を見回し、家族全員がいることを確認して、少し安心した。自分にとって、最悪なことは起きていない。
iPhoneが鳴ったことに気づいた夫がテレビのスイッチを切った。ただならぬ様子を察知した息子たちが、iPadから顔を上げてこちらをじっと見た。ペットの犬も息子たちにつられて首を持ち上げ、鼻を動かした。
「今日、ですか?」
「本日、十七時にご自宅で遺体となって発見されました。死亡推定時刻は十六時頃、第一発見者は同居していた小学生の息子さんです」