路上生活・借金・離婚・癌......ものを書くことが彼女を救った
「あの、変なこと聞くけど、いやらしい意味とちゃうねんで? いいかな」
「はい、何でしょうか」
「君は、ブラジャーはどこのものを着けてる?」
(中略)
「ええと、今日はワコール」
「ええー、ほんまかいな」
「......ほんまですよ。それが何ですか」
「いやあ、ほならちょっと背中触らせてくれる? ホックのとこ」
「ホック? いいですよ」
その初老の男性は、ほんの一瞬セーターの上から背中のホックを撫でた。
「いやあ、ほんまやなあ」
穏やかな顔つきの男性は、莞爾としてあたしを眺めた。(104~105ページより)
かくして名刺を受け取った著者は、以後も塚本からかわいがられることになる。かといって助けを乞うでもなく、自分の力で銀座に働く店を見つけ、成功を勝ち取っていく。さらにモデル時代には荒木経惟に認められ(本書のカバー写真は荒木によるもの)、ホステスのころには、プロ野球選手として活躍していた清原和博と交際したりもしている。
話のスケールの大きさには驚かされるが、それは、著者に人を惹きつけるなにかがあったことの証だということ。
その点はまったく否定しないし、そこに本書の説得力があることも事実だ。だが同時に、その生きてきたプロセスにおいて何度も、自尊心の強さが裏目に出ている。こうして書く以上は、その点も指摘しなくてはフェアではないだろう。
たとえば3度におよぶ結婚についても克明に描かれているのだが、どれだけ美辞麗句を並べたところで、少なくとも私には「同じ失敗を何度も繰り返している」ようにしか思えなかった。基本的に頭のいい人であることに間違いはないが、その人生においては何度も、自ら火のなかに飛び込んでいくような危うさを露呈しているのである。
だから、「あたしにはこの離婚は自分だけでなく、自分の子供の幸せをも犠牲にしているのは解っていた」といいながら放浪生活をし、「一人で飲むのは寂しくてつまらないので」5歳の息子にも酒を飲ませたというような記述を目にしてしまうと、いまでは悔いていると書かれてはいても抵抗を禁じ得ない。
そして、そこにこそ本書の問題があると私は思う。先に触れたとおりたいへんな半生を送ってきたことはたしかだろうし、真似ができない強さもある。しかしその一方で、絶対的な自己肯定意識、そして相反する自己憐憫が露骨に出すぎているから、なかなか共感しづらいのだ。「まぁ......たいへんだったろうけど......でも、誰でもみんなたいへんだよね」といいたくなるような感じである。
しかし、そのぶん現在の著者が、とてもいい環境に落ち着くことができたらしいことはよくわかる。真言宗の寺に入り、そこで執筆を続けているのだという。
二〇〇九年、春。
偶然の出会いではなく、必然的に、あたしは岐阜のあるお寺に導かれた。そして、自分の人生を多くの人に知ってもらいたいという気持ちになった。(中略)
一度死にたい。死のう。死んで、生き返りたい。
そのためにも、あたしは自分の過去を書こうと決めた。いや、これ以上ここにいるためには、書かずにはおれなかったからだ。(270ページより)
少女時代から街を放浪し、成功をつかみ、失敗し、結婚と離婚を繰り返し、酒に溺れ、自傷行為をし、癌を2度経験してきた著者を、ものを書くことが救ったのだという。果たして今後、どのような著作が出てくるのかは予測できないが、著者にとってそこに大きな意味があったことは事実だろう。
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『不死身の花
――夜の街を生き抜いた元ストリート・チルドレンの私』
生島マリカ 著
新潮社
[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。書評家、ライター。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。