犬たちの怒涛の反乱にぶちのめされる『ホワイト・ゴッド』
ジャンルの垣根を超えた話題作が日本初上陸のコーネル・ムンドルッツォ監督に聞く
野生の目覚め ハーゲン率いる犬たちが街を駆け抜け、リリと出会う光景は圧巻だ 2014©Proton Cinema, Pola Pandora, Chimney
舞台は、雑種犬にだけ重税を課すという法律が施行されたある都市。主人公は、周囲にうまく馴染めない13歳の少女。そして250匹の犬たちが起こす反乱――。サスペンスであり、ドラマであり、ダークファンタジーともいえる異色作『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』(ハンガリー、ドイツ、スウェーデン合作)が日本公開される(21日から全国ロードショー)。
両親が離婚し、学校で所属するオーケストラでは問題児扱いされ、どこにも居場所がなく孤独なリリ(ジョーフィア・プショッタ)にとって唯一の心のよりどころは愛犬のハーゲン。だがある日、威圧的な父親に反抗したせいでハーゲンを捨てられてしまう。リリは必死に探し回るが見つからず、その間にもハーゲンは野犬狩りに遭遇し、裏社会の闘犬へと駆り出され、やがて仲間とともに人間に復讐しようとする。
昨年のカンヌ国際映画祭では「ある視点」部門グランプリと、パルムドッグ賞(最も優れた演技をした犬に贈られる非公式の賞)をW受賞している。監督としてのキャリアは比較的長いが、日本公開は本作が初めてというハンガリーのコーネル・ムンドルッツォ監督に話を聞いた。
――タイトルの「ホワイト・ゴッド(White God)」は何を意味しているのか。
南アフリカ出身の作家J・M・クッツェーの『恥辱』という作品から思い付いたものだ。彼はその中で、「ホワイト・ゴッド」を白人のこととして描いている。世界を植民地化し、支配する人間として表現されていて、それがすごく面白く感じられた。この映画の内容と直接関係がないと思われるかもしれないが、深いところではつながっているのではないか。
もう1つには、犬の視点がある。犬にとって人間は神のようなもの。犬は人間を、人間が自分自身を愛しているよりも愛しているかもしれない、ということが書かれている。
クッツェーはまた、人間はどう生きるのかということに自ら責任を持てるはずだとも言っている。人は寛容にも不寛容にも、人間らしくも非人間的にもなれるものだ、と。それもインスピレーションになった。