歴史の中の多様な「性」(1)
あるいは、一九六七年に撮影された男性と女装男性の結婚式の写真がある(図2)。「花嫁」は文金高島田に角隠しを掛けた打掛姿で、ちゃんとした結婚式場で撮影されたものだろう。モーニング姿の新郎はホテル経営者で、それなりに社会的地位のあった人と聞いている(杉浦郁子・三橋順子「美島弥生のライフヒストリー」、『戦後日
本女装・同性愛研究』中央大学出版部、二〇〇六年)。
また、私自身、一九九九年三月に男性と女装男性の結婚式・披露宴に出席したことがある。場所は、大阪城の近くの「太閤園」という一流の結婚式場で、式場側も普通の男女の結婚式ではないことは察していたと思うが、何のトラブルもなかった。
その少し前の一九九八年一一月には、川崎市の若宮八幡宮・金山神社で、男性同性愛(ゲイ)のカップルが同神社の中村博彦宮司(当時)の執行のもと、神前結婚式を挙げている(『日刊スポーツ』一九九九年一月二一日付)。
二〇一三年三月、女性同士のカップルが「東京ディズニーランド」で結婚式を挙げたことを、マスメディアはウェディング・ドレス姿の二人の写真に「ミッキーも祝福」というキャッチ・コピーを添えて大きく報じた。
しかし、実は、それ以前にも、日本では同性挙式は行われていたし、事実婚的な同性婚も少ないながら存在していた。そういう事実を知っている者としては、今さら何を騒いでいるのだ、という気もする。
では、なぜ、日本では同性挙式が可能だったのだろうか。それは、日本の婚姻が、欧米キリスト教社会のような神との契約ではなかったからだ。日本の神社で神前結婚式が行われるようになるのは明治時代後期以降のこと。一九〇一年(明治三四)東京の神宮奉賛会(現・東京大神宮)が「神前結婚式」の様式を定め模擬結婚式を開催したのが最初で、儀礼は、皇室の婚儀やキリスト教会での式を参照・模倣したものだった。それ以前には、神社の神前で結婚の誓約をするという発想はなく、天照大神も八幡大神も人々の結婚に関わることはなかった。結婚は共同体の人々の前で、慣習的な儀礼によって成立するもので、祖先神や屋敷神、あるいは共同体の神に挨拶する程度のことはあっても、神に誓約するものではなかった。
これに対して、欧米の教会で行われる結婚式は、当人同士の誓約であるだけでなく、そこに神(キリスト)が立ち合い、誓約に介入する。結婚は神との契約という性格をもち、だからカトリックでは神との約束を破ることになる離婚は認められなかった。