朝日新聞の思い出話はドキュメンタリーたり得るか
「夜回り」をしていたとき、ソニー盛田社長(当時)夫人から追い立てられたエピソードが披露されているが、そこで著者が盛田夫人にかけることばの非常識さたるや、いま問題視されることの多い「ゆとり社員」のそれと大差ない。まぁ、若かったということなのだろう。
1991年8月から9月にかけて朝鮮民主主義人民共和国訪問日本記者団の一員として北朝鮮に行ったそうだが、その時点で横田めぐみさんらの拉致事件を「まったく知らなかった」と書いてしまう大胆さにも驚かされる(私の記憶が間違っていなければ、日本政府は1991年の時点で北朝鮮政府に対して拉致問題を提言している)。
つまり簡単にいえば、ツッコミどころ満載なのだ。だから「新聞業界四方山話」的なエッセイ集としては充分に楽しめるだろう。文体も軽妙で、ユーモアも散りばめられていることだし。
しかし問題は、これがドキュメンタリーと銘打たれている点である。
「元朝日新聞記者によるドキュメンタリー」と聞けば、読者が純粋に期待するのは記者ならではの鋭い視点であるはずだ。私もそうだったし、時代性を鑑みれば原発事故関連、吉田調書問題などについての考え方はぜひ聞きたいところである。しかし著者が10年前に社を去ったのであれば当然ではあるが、それらに触れられることは一切ない。慰安婦問題についてはページが割かれているが、それも1992年に『月刊Asahi』で自身が体験したことだけだ。
つまり、ここに書かれているのは個人的な思い出話なのだ。見たこと、聞いたことを「こんなことがありました」と書き連ねているにすぎず、しかも自分の視野に入ることしか書いていないから、「意思」が響いてくるようなことが少ない。先輩部員が痴漢容疑で逮捕されたという話を「~らしい」「あり得ることだと思った」というような曖昧な表現で書かれても、こちらとしては、「ああ、そうですか」としかいえない。
何の専門も持たない記者ゆえの感慨かもしれないが、朝日新聞での三十六年余の生活は、まさに「友がみなわれよりえらく見ゆる」日々だった。(中略)本書は、そんな不肖が「これだけは専門だ」と唯一言える、自分の身の回りであったことのささやかな報告だ。(332~333ページ「あとがき」より)
上記に明らかなとおり、これはドキュメンタリーというより「きわめて個人的な回想集」である。そういう意味でタイトルに偽りはないのかもしれないが、これが第14回新潮ドキュメント賞を獲ったという理由が私にはわからない。
そしてなぜだか、読み終えたあとには、なんともいえない寂しさが残るのだ。
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