「脳まで筋肉の柔道選手」と中傷された彼女が医学部合格を果たした、たった一つの理由
一方で、沙羅選手の適性を見るため、小さい頃から、輝哉氏が行う動物実験を見学させたり、マウスの解剖や実際の医学シミュレーション体験も続けていたという。
「朝比奈家の家訓のもう一つに『本物志向』というのもあります。子供向けの職業体験施設に連れていっても、本当のモチベーションを持たせることはできないと私は考えています。やっぱり本物を見せなければダメ。それと、今の医療界に対する問題意識もありました。厳しい状況になると患者に寄り添うどころか逃げだす研修医を少なからず見てきました。勉強ができるだけで、適性を欠いたまま医学部を受験した結果ではないでしょうか。上司に頼み込んで、中学生の沙羅をオペ室に入れ、本物の手術を見せたこともあります」(輝哉氏)
"輝哉流"はどこまでも徹底していた。
本気で「いつか父を殺してやる!」と思っていた
さて、これほど強烈な父のもと、娘はどんな思いで子供時代を過ごしてきたのか。どうやら沙羅選手はスパルタ教育に唯々諾々と従う、いわゆる"いい子"ではなかったようだ。
「それどころか、むしろ反骨精神だけで生きてきたように思います。小さい頃は本気で、『いつか父を殺してやる!』と思っていました。こういう親子関係は決してお勧めしませんが(笑)」(沙羅選手)
中学生のとき、こんなことがあった。古典の宿題を白紙で提出しようとしていた沙羅選手を見て、父が叱責すると、「古文の辞書がないからわからない。もう夜も遅くて辞書も手に入らないから、諦めるしかないよ!」と沙羅選手。
いつも怒鳴る父が静かに言った。
「この時間でもやっている本屋をネットで調べろ」
数軒の本屋が見つかる。父と娘は夜道を歩き、3軒目でやっと古語辞典を買うことができた。家に戻り、40分かけて宿題を終わらせた娘に父は言った。
「なんとかなったじゃないか。最後の最後まで諦めるな!」
わんわん泣きながら、娘は父に向かってこう言い放った。
「今日は負けたって感じかな!」
沙羅選手は父が恐ろしくて、その方針に従ってきたのではなく、輝哉氏に負けたくないからこそ、父の出す無理難題に立ち向かってきたのである。
高3の受験期は柔道特訓2時間、医学部受験勉強11時間
高3になり、いよいよ柔道と医学部進学の二刀流の真価が問われる時期となった。
「本当に大変でした。春夏は高校の大会。秋は全日本の大会。そして冬は国際大会。柔道にはオフシーズンがありません。練習2時間、勉強11時間という毎日でした。しかもケガが多くて、柔道も思うようにできなかった。もう本当に疲れ果てて、『私、今まで洗脳されたみたいに医学部を目指してきたけれど、大好きな柔道を犠牲にしてまで本当に医学部に入りたいのか?』っていう気持ちになったんです」(沙羅選手)