出口治明「日本は異常な肩書社会。個人的な人脈・信用はなくても実は困らない」
Newsweek Japan
<......しかし退職後の人生も長い。個人としていかに信用を高められるか、何を判断軸に人とのネットワークをつくればいいか。立命館アジア太平洋大学の出口学長に聞いた>
収束の気配がない新型コロナウイルス騒動は、期せずして「自分さえよければ」とばかりに利己的な行動に走る個人の存在を浮き彫りにし続けている。
マスクやトイレットペーパーの買い占めにとどまらず、他者が困っている状況に便乗して、それらを転売して利益を上げようとする者が後を絶たないというニュースに暗澹とした気持ちになった人も多いだろう。
かつて「自分さえよければ」という態度は一端の大人として恥ずかしいものであり、たとえ建前であっても「人のために」と動くことが美徳ではなかったか。
個人レベルでも、会社などの組織レベルでも、利己ばかりを追求していては人から信用を得られない。SDGsの推進など、世界的には以前に増して利他を重んじる傾向が強まっていたはずだった。
経済記者として多くのトップ経営者や財界人の取材をしてきた栗下直也氏は、成功者と利他の関係に注目して『得する、徳。』(CCCメディアハウス)を執筆。
昔から「ビジネスには信用が大事だ」と言われ、昨今では「信用があれば生きていける」といった議論までなされているが、信用とは一体なんなのか? 漠然とした「信用」を読み解くヒントを渋沢栄一や土光敏夫などの名経営者が実践してきた「徳を積む」行為に求めた。
利己主義者の悪い面が目立つ昨今だが、4月には社会人となり新生活をスタートする人も多いだろう。働き方改革や採用の多様化が進む今、社会人はどのように気持ちよく企業社会を生きるべきだろうか。
ここでは、『得する、徳。』の刊行を記念して、労働と信用のバランスや、カネと信用の関係について、立命館アジア太平洋大学(APU)の出口治明学長に3回連載で聞く。1回目は「信用を高めるにはどうすればよいか」。
――「信用があればカネはいらない」「信用を積めばカネはついてくる」との主張を最近、あちこちで耳にするようになりました。
「その通りです。信用はとても大事ですよ」と言いたいところですが、今日は、それって本当ですかというところからお話ししましょう。グローバルに見たら、信用なんてどうでもいい社会もあるわけですよ。
――いきなり、ちゃぶ台をひっくり返されるんですね。
立命館大学の小川さやか教授が興味深い指摘をしています。彼女は香港に住むタンザニア人の商売を調査研究したのですが、彼らはお金がない仲間にはおごるし、住む場所に困っていれば、自宅に泊める。
とはいえ、彼らがお人よしで、人を裏切らないというわけではないんですよ。信用し合っているわけでもない。むしろその逆で、仲間を欺いてでも商売に食い込めないか、かすめ取れないかと常に考えを巡らす。
困っている人を助けるのは、あくまで「生きる知恵」であって、「信用を積もう」とは思っていない。やり過ぎず、ずる賢く、たくましく生きている。だから、政治家とも付き合えば売春婦とも付き合う。
つまり、信用が大事といっても、世界では信用という概念が必要かどうかも、信用が何によってもたらされているかも全部違うわけですね。